ニキの発願利生(ほつがんりしょう)

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【“使者は来たりぬ”  2011年 ミクストメディア B5】

アスペルガーについてミニ講演(赤面)して
思い出したことがあります。


今年、祖母の法事があったんですよね。

その時お寺であげてもらったお経が、すごく印象に残ってるので
今日はその話。



『修証義』の第四章『発願利生(ほつがんりしょう)』
『修証義』というのは
曹洞宗高祖・道元による『正法眼蔵』の一部なんだそうです。

簡単に言うと、発願利生とは

「自分の幸福だけを願っていては幸福になれない、
自分よりも人のために尽くそうとする仏心があってこそ、
本当の幸福があるのです」

・・・という教え。

それで、はたと己のことを考えたんですね。

私が絵を描いているのは自分の救済のため。
これはたしかなことです。
でも私の救済には即、ほかの人の存在が不可欠なのです。

ほかの人を救うことができたら
そりゃすばらしい。
そうだといいなと思う。
でもその前に、私自身が救いを求めている立場なんです。

神様仏様じゃないもの、
人のことだけ救う力なんて・・・ないよ。ない。

だから逆に、
みんなで一緒に救われたらいいな、
と思います。


自分自身を救えなければ他人も救えないもんね。

たとえば、同じアスペルガーの人が
私の作品を見て
「そうそう、これだよ!仲間じゃーん!」って思って
生きることにちょっとでも前向きになってくれたら
それは私の救いでもある。

アスペと関係ないところでも、
私の絵に出てくる人たちを見て
「あ、かっこいい!この作品いいなあ」って思って
ちょっとでもいい気分になってくれたら
私も同じに嬉しくなる。


昔の私は、人のために尽くすことが
自分の救いになるとは
どうしても思えなかった。


人に尽くすことは
つまり誰かの役に立つことで、
「役に立つなら存在していてもいい」という
条件付きの「生きる許可」にほかならなかった。

いつだって優秀さを求められていた上
幼いころは、存在する権利がつねに危うい状態だったから
私という人間をまるごと受け入れてほしいと思っていた。

役に立つから、じゃなくて
欠点だって弱いところだって
すべて一緒に「生きていていい」と保障してほしかった。


でもね、今は違いますよ。

だって、絵を評価してくれたり
ファンになってくれたりする人が増えてきたから。(ちょっとずつだけど)

絵は、私の一番正直な言葉のひとつ。
だから、その絵が認められることは
「まるごとの私」がいてもいいという許可証を手に入れた
みたいなものだったから。
ずっと欲しかったものが、ようやく手に入ったのです。

そうして状況がまえよりも良くなって
私は初めて、ほかの人の救いも考えられるようになりました。


まあ救いったって、そんな大げさなものじゃないのよ。
好きな音楽を聞けば「あーいいな~」と思って
いっときカタルシスを感じられるでしょ?
それとおんなじ感じ。


自分をさておいて、というのは
まだ難しいです。
そして、自分に困難ばっかりくれてしまった
「アスペルガー」という特質に感謝まですることも、
やっぱ難しいです。

でも私が描きたいものを描くことによって
いろいろな人が救われるなら
一緒に救われることができて嬉しい



これが今のところ、
私なりの『発願利生』みたいです。
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コメント

No title

こんばんは
今日 先日頂いたお米 炊いたのですが味が良くて驚きました。
赤飯のようで 美味しかったです。
僕は一般の高校から仏教系の大学に進みました。
道元に会いたくて バイクで永平寺に行きました。
最近では永平寺 106才で旅立たれた宮崎奕保禅師や比叡山千日回峰行を2回も成功された酒井阿闍梨にすごく影響受けていまして 酒井阿闍梨はお会いすることができました。
今回のお話は二宮尊徳が同じような教えを説いています。
奪って得なく与えて損無し という 昔の偉人は立派です (笑)
所で 昨日我が家にヒロヤマガタのチャコール画が届きまして今日額装し直しまして ニキさんの女性画 池田満寿夫の女性画 ヒロヤマガタの女性画と女性が三人私の部屋に並びました (笑)

Re: No title

こんばんは。
お米、美味しかったとのことでよかったです。両親に伝えておきます。
仏教系の大学で、かなりアクティブに仏の道を探求なさっていたのですね。
viragooさんのお坊さんのような雰囲気はここにルーツがあったのか、と何だか納得してしまいました(笑)
どの宗教でも、道を極めた人は共通した解脱のかたちを持っているような気がします。

池田満寿夫にヒロヤマガタと同じ場所ですか!いやはや照れちゃいます(笑)
来年1月の個展もよろしくお願いいたします。

迷惑かけてありがとう

神(仏)の真理は変わらないのかもしれません。
聖書も「自分を愛するように隣人を愛しなさい」とあります。自分=隣人で、どちらが上でも下でもないとあります。僕はその御言葉が好きです。
そして僕がとても印象深く覚えている説教が
http://take1960jan.blog81.fc2.com/blog-entry-1232.html です。
迷惑かけてありがとう、そういえる関係はとても魅力的な関係です。

Re: 迷惑かけてありがとう

リンク先の記事、読ませていただきました。
多くの意味を持っていると感じたので、これからさらにじっくり読ませていただきます。

私は最近になって、自分がいかに多くの人に支えられてきたかがようやく見えてきました。
大変なことや生きづらいことも山とありましたが、
それで見えなくなっていたものが見えてきた気がします。

記事にあった元ボクサーの方は素晴らしい人たちに囲まれていましたね。
こういう関係こそ、私が幼いころに求めていたものかもしれません。
これからの人生で築くことができたらいいと思います。難しいことであっても。

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