“白い十字架のある風景”

瀬戸屋敷に来てくださった方から
「この作品について解説してほしい」というリクエストがありました。

ので、今回はその絵について。

白い十字架のある風景
【“白い十字架のある風景”  2011年 油彩 F3号】



これは 「神を求める意志に意味はあるのか」 という
おそろしく根源的な問いを、
私なりに考える中で生まれました。


廃墟になった聖堂のあとに、十字架だけが残っている光景です。


なぜ、そんなことを考えるようになったかというと
私の過去がその問いとかなり深くからんでいるから。



私は小学校の6年間、ミッションスクールに通いました。

お弁当持参の学校がそこしかなかったためです。
食物アレルギーがひどくて
給食が食べられないので。

もうひとつ、母によると

すでに幼稚園のころから、人間関係がとれなかった私に
信仰が少しでも心の支えになれば、と考えたからだそうです。


残念ながらその6年間で、
私は「信仰に支えられる人間」ではなくて
「信仰に希望を失くした人間」になってしまいました。



学校では事あるごとに聖書の言葉を学びます。
「隣人を愛しなさい」という聖句を、毎日のようにとなえます。

学校の子供たちは多くが信者の子なのですが
どうやらその子たちにとって、私は「隣人」の資格がなかったようです。


私はひとりのとき、よく
聖書に出てくる人の中で自分に似た人を探す、という遊びをしました。

でも結局のところ、私が一番似ていたのは
イエス・キリストの物語に出てくる、人々から避けられる病人たちでした。

彼らの前にはイエスが来て
やさしい言葉をかけてくれるので
それと同じことが私にも起こらないかな、と思っていました。


時に、私は自分のことをヨブだと思いました。
ヨブは旧約聖書に出てくる人で
神に信仰を試されてあらゆる苦難にみまわれたといいます。
財産と家族を失い、しまいには皮膚病にかかります。

ヨブが、ただれた皮膚を陶器の破片で掻いたように
私もアトピーがあまりにかゆくて、
カッターナイフで皮膚を切り裂いたことがあります。

ヨブは最終的には救われるのですが
私は卒業式の日まで、ただれた皮膚はなおらず
あいかわらずお化けと呼ばれていました。
「神の愛」を誰よりも学んでいるはずの、信徒の子供たちによって。



でもね、忘れられないんです。
神様のこと。



卒業してもう15年たつのに
いまだに神様や、イエスのことが忘れられない。



私はその後も「人」との関係で苦しむことが
日常的にあったのですが、
何があっても非行に走ったり、万引きしたりすることができなかったのは
心の中に神様がしっかり居座っていたから、のような気がします。
「たとえ不正に苦しんだものであっても、不正をする権利はないのだ」と
イエスが心の中で語りかけていたのかも。

まあ、悪友すらいなかったのかもしれませんが。


ひるがえって、世界に目を向けると
信仰が人を救っているとはとても思えない。

戦争によって、教会は平気で壊され
神の正義を確信した人々は、人とも思わずに他人を殺します。

神を持たない人間は不幸だといいますが
神を持ってもやっぱり不幸だと、私には見えました。


そして、そんなことを考えながら
いまだに子供のころの宗教教育に影響されている。
自分の描いた絵に、知らずにでているんですよね。
(人からも、聖書の世界みたいだねと指摘をいただきますし)

実際、この世は「神も仏もない」状態ですが
それでも救われたいという思いだけは、否定することができないのです。


廃墟に残された十字架に意味はあるのか。

これは恐ろしい問いです。

だって、実際的に「意味がない」のですから。
(もしあったら、聖堂は廃墟にならなかったでしょう)


正直なところ、私もそれは分かりません。
分からないからこそ、ずっと考えていきたい。


私の絵に出てくる、黒こげの天使は
こうして生まれてきたもの。
神様にも人間にも絶望していた私が見出した、
究極の救いのイメージです。


※黒天使についてはこちらの記事を参照ください。
「黒天使ふたり」
「住民たち紹介 其の四」


“白い十字架のある風景”で、画面の向かって右側に
黒いマントをかぶった女の子が立っています。(見えるかな?)
彼女は廃墟になった聖堂のあとに立って
この問いと初めて向き合ったところ。

そしてこれからずっと考えていくのです。

コメント

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Re: No title

コメントをありがとうございました。そちらのブログは拝見したことがあります。

「ただ一人でも十字架を見上げる者がいるとすれば礼拝堂が破壊の限りを尽くされても十字架が残った意味はあると思います。」

廃墟の中の十字架の意味については、まさにご指摘の通りだと思います。聖堂という「うつわ」がなくなっても、そこに思いを寄せる人がいれば神は存在しているのだと。

正直、私自身もここまでキリスト教が自分にふかく影響しているとは気づきませんでした。私の両親も予測しなかったと思います。
絵という「言葉」を自分の望むとおりに使えるようになって、はじめて分かったのです。きっと私の生涯のテーマになるでしょう。
この作品は来年1月の個展にも出展するつもりです。そのときにご覧いただければと思います。

黒こげの天使

黒天使、というと強そうですが、黒こげの天使は抱きしめたくなります。
ことに小さいこの子は……。

Re: 黒こげの天使

はい・・・
大人のほうの天使は、やや回復した姿でも描くことがあります。
その場合は黒装束に黒い羽根(取り換えがきいたらしい)で出てくるのですが
なくした片方の目はなおらず、服の下にはケロイドが残ってしまっている、という設定です。
子供のほうはたいてい無傷なんですよね。もともと大人の天使から「派生」したキャラクターなので。
もしかしたら、亡くなった子供が拾われて天使になったのかもしれません。

No title

早速 ありがとうございます(_ _)
 
 お墓ではなかったんですね(想像力乏しい~) 絵が描かれた背景...幼少期の体験だったんですね。 

 子どもの頃にインプットされたことって意識の奥にずっと潜在しつづけるんですね。

 
 キリスト教について学んだことはありませんが、長崎の義母がもしよかったらと聖書をくれました。

 ちょうど長女が高校生で不登校になってしまい どうした事か訳がわからず七転八倒していたころです。 こういう時って神にもすがりたくなりますよね((笑)

 おもむろに開いたページに 「病は医者に任せなさい・・」的なことが書かれていたのです。 その時 自分たちだけでなく専門家の力を借りれば何とかなるかもと切り替えました。

 聖書からのメッセージが生活の指針になったり 仏教の教えでも根は違うけれど人間を快適に生かすためのメッセージを発信してるんじゃないかな~なんて思います。

 宗教って 人とは何という答えを各々持てているから すがれば悩む事も少なく救われた気になってしまうのではないでしょうか。

 なんか話がそれてきたかな~?...ではこのへんで(^0^)/


Re: No title

nonachan様

リクエストにお答えいたしました(笑)。
お墓という解釈も十分、アリだと思いますよ。そして、その場合でも作品のテーマは似た所にあると思います。あとに残された者がどう生きるか、という意味で。

お義母さまは長崎にお住まいだったのですね。今でもそちらにいらっしゃるのでしょうか。
長崎は私にとっても、いろいろな意味で特別な土地になりそうです。
行ったことはないのですがいつか行きたいです。

普遍性を持つ宗教というものは、求めているところに共通点があるような気がします。要は、みな救われたいということですよね。

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