私が言葉を失くす時

花・12年5月0001
外歩きで発見した花。描いてみたい。(あ、今回の図版は本文と特に関係ありませんので。)

劇画に胸熱中☆しはじめてから
心の具合がかなりいいです。今までにないくらいに。



昨年の前半はね、かなり危なかった。

うつ病です。


後半になって具合がよくなってきて
今でもそれが続いてくれている。

で、自分の心の病気について書いてみようと思います。
なぜって、具合のいいときでないと書けないから。


前にも書いたことが一部、あるかもしれませんが
それを抜いてしまうとワケ分からなくなるのでw



自分のことを語るって、実はすごく難しい。
今は言葉に置き換えるだけの理性が働いているので、自分のことも文章にできます。

具合のいいときに、悪いときの文章を見てみると分かるのですが
こう書いておけばいいのに、というところで
使うべき言葉をつかえていない。

紋切り型の言い回しが並んでいるだけだったりする。




シベリアに抑留されていた人の書いた文章を
前に読んだことがありますが、

そこに「失語の状態」という言葉が出てきました。

収容所の生活で、人間の精神がどうなるかを示した言い方です。
強い恐怖や不安や、肉体的危機の状態に置かれ続けると
人は、言葉を使えなくなってしまうんだそうです。



自分が置かれている状況が、
あらゆる表現を超えてしまっている
からです。

たとえば、収容所の状況を「ひどい」と
表現すること自体が、意味を失くしてしまう。
いくら「ひどい」と言っても
現実の重さはとても表し切れていないと感じる。
「そんなこと見ればわかるから」です。



また、それ以外の世界がリアリティを失くしていくから
という理由もあります。
あまりに過酷な状況に慣らされてしまった人は
幸せな世界を思い描くことができなくなるからです。

幸せな世界を思い描くことができるなら、
今の状態と比較して「ああ、こんな状態にいるんだ」と
考えることもできるのです。


でも、比較する対象がなくなってしまえば
ただ、黙って今を受け入れるしかないのです。



そうして、だんだんと言葉が使えなくなっていく。




このことを本で読んだとき、
私は「これは自分のことだ」と思いました。




もちろん、単純に並べるのは失礼というものでしょう。

私が体験したことと、シベリアとでは
過酷さのレベルが違いますから。

ただ、「言葉を失う」ということについて
まさに自分がこれだったと思ったのです。






新聞に、小学生や中学生の作文コンクール入賞作とか
よく載っているでしょ?
そういう中には、福祉とか人権とかについて書いているものもたくさんあります。

私は子供のころ、そういう文章を読んで
「これは自分もいつも考えている」ということが
すごくありました。
なぜって、自分が人権問題のさ中にいたから。
いまでもあります。

でも、まさに人権問題の真っただ中にいるのに
それが言葉になってくれないのです。




言葉にするというのは、
現実をあらためて認識することで
そこには客観的になれることがどうしても必要です。


でも私は、客観的どころじゃなかった。
耐えることで精いっぱいで。


日常生活で
いつも複数の問題を抱えて生きていました。
アトピーと人間関係、
頭の中に居座っている得体のしれない恐怖。

そういう問題を抱えていたから
一日一日をやりすごすのに必死で
「今の自分の状態」を言葉にする余裕もありませんでした。


物ごころついたときから
「問題のない状態」を知らずに生きていた私は
それ以外の現実を何一つ知らないままだった。




だから、あえて自分の現実を言葉にすることもできなかったのです。

「辛いのが当たり前」だから、
辛くない日々を手に入れるために
自分の現実を聞いてもらおう、とも思えない。

ただ、ひたすら一日が
「平均的な辛さ」で過ぎ去るのを待つばかりでした。





今はある程度、言葉で表現することはできます。
「現場」を去ったから、ある程度客観的になれたのです。
他人を観察するように、自分を(過去の自分を)思い出して
報告することができます。

それは、うつ病がひどい時も同じ。

「視界の外側がモノクロになる」とか

「悲しみというより、非常に深い疲れに似ている」とか

「心臓の一部がなくなって、そこにブラックホールができた感じ」とか



こういうことは、すべてその場を離れたあとに
思い出して書いているのです。


以前、私は次のように書いたことがあります。


“危機の状態というのは、基本的に表現不可能なことなのかもしれない。
 危機の真っただ中にいるときには
 言葉を失い、
 その危機から抜け出てみれば
 今度はリアルタイムの表現ではなくなってしまう。

 だから、私は「表現不可能なもの」を
 表現しようとしているのかもしれない”――と。



幸か不幸か、
私は記憶力がわりとはっきりしているので
たとえば、うつ病がひどい時に
自分がどんなふうに考えるかとか
思い出すことができます。

幼いころに抱いていた恐怖についても
ある程度は細かく再現できます。

言葉でも、絵でも。



私の絵は、たいていこうして生まれたものです。

過ぎ去った出来事を思い出して
的確な言葉に置き換えていく。

正直、言葉を使えるということが
こんなに解放感をもたらすとは思いませんでした。



今、私は
言葉でも絵でも、自分の思い描いたことを
かなり正確に表現できています。
昔に考えていたことも同じに。

それは、ほとんどここ2年くらいまで
的確な言葉を見つけられずに
悩んでいた反動なのかもしれません。

テーマ : 病気と付き合いながらの生活
ジャンル : 心と身体

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No title

ニキさん、今晩は。アスペルガーであると同時に、自分もアトピー患者です。8年前、東京の名医(過大評価?)に出合うまでは、酷くなる一方だった病状も、今現在、お陰様で嘘の様に良くなりました。所で、明後日は小田高のカミングデイに、自分は行く予定です。妹が小田高卒な為、代わりに足を運びたく思っています。

Re: No title

こんばんは。アトピーも共通でしたか!
いい先生に出会えて改善したとのことで、よかったですね。
何というか、多くの人よりも感覚のセンサーが敏感というのかな。それでストレスを抱えて悪化することは多いのでしょうね。
妹さんが小田原高校卒とは初耳。カミングデイ、楽しい日になりますように。
NIKI 安藤ニキ・ホームページへ
プロフィール

探究者ニキ

Author:探究者ニキ
安藤ニキ
神奈川県横浜市生まれ、
慶応義塾大学文学部哲学科卒業の画家。
油彩・版画・ドローイングなど表現方法はさまざま。たまーに漫画も描きます。
作品のお問い合わせはnikiあっとando-kobo.jpへお願いいたします。

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