カンボジアで思い出された天使の話

最近描いた天使の絵。
なぜ天使かは本文をどうぞ・・・
炎の天使ブログ用0001
【“炎の天使(仮題)”  2011年 水彩、ペン B5】

作家の山崎洋子さん
私の「人生の師」であり
生きる上での先輩であり
年上の友人でいらっしゃる方です。


(友人と呼ぶのも気が引けるのですが、ほかに適当な言葉がないので)

その山崎洋子さん、
20日~26日までカンボジアに旅行に行ったそう。


※詳しくは山崎さんのブログ「冬桃ブログ」
旅行記がUPされていくはずなので
そちらをご覧下さい。


カンボジアで山崎さんは、
ポル・ポト政権時代には刑務所で
今は暗黒の歴史の博物館となっている建物に行ったとのこと。


そこで何と、急に私の絵を思い出したそうです。



7月の横浜ヴァージンフェスタで
山崎さんは私が描いた天使の絵をご覧になって、
とても印象深いと
おっしゃっていたのですが。

※そのときの記事はこちら→「山崎洋子さんのこと」


かつて、独裁者の恐怖の象徴であった
その建物の中で

「あの天使の絵がここにあったら――」
不意に思い浮かんだそうです。


これを聞いたときはびっくり。
「えええ、私が!?」という感じでした。




そりゃそうですよ。


考えたこともなかったから。

そういう「現場」で
自分の作品を思い出す方がいるか、なんてこと。



私は自分が社会派だとも思っていないし、
ただひたすら
個人的に辛かったことや、怖かったことやを
浄化したくて描いているエカキですもん。


たしかにポル・ポトの名前は
年齢ひとケタのころから聞いていました。

漠然とした、暗い恐怖を伴った
暗号のような響きをもって
ほかの多くの同じような言葉や名前と一緒にね。



私はアスペルガーのせいで
ニュースで聞いた怖い話が実体験のように迫ってきたりもします。


でもそれで社会派の画家になれたかというと
そうではなかったんですね。


なぜかというと。

学んだことを「社会的活動」に転化するためには
ある程度の客観性がどうしても必要だから。
「他の人がこんなに苦しんでいるから、助けなきゃ!」という考え方です。

絵で表現するにせよ、
本当に政治的な手段に訴えるにせよ。


ところが、
私にはその客観性がなかった


情報として聞いたことが
そのまま個人的なトラウマになってしまうのです。

そのことを知って、
自分にできるのは「自分のトラウマ」を表現することだと思いました。
とにかくその一点に正直になろう、と。

自分のトラウマもろくに解決できていないのに
誰かに説教するみたいな作品を描いたって
見る人はシラケちゃうんじゃないかな?




このような特殊な感性こそ宝だ、と
考えることもできますが

やっぱり素直には喜べんな~(笑)


生きていてキツイから、というのは置いといて。


私は私なりに、直接間接に暗黒を見てきたけど
それで“ニュースで報道される人”と立場が近くなったと言って
無邪気に喜んでいたら・・・ねぇ。
「幸せなやっちゃな~」って話ですよ。

そういう点では謙虚でありたいな、と思います。




まあそんなことがありましたが


実際にそういう場で
私の絵を思い返す人がいた――ということが
とても印象に残っています。

それがどういう意味を持つのかは
まだ分からないので、
これから考えていくつもり。


ただ
かつて、人間のさまざまな姿を
それも多くは醜い姿をむき出しにした場所で
私の作品がその場の空気に耐えられるなら、

このつたない作品でも
あるていどは人の深層に
触れることができているのではないか――と思います。


ほんのちょっとですけどね。


最近、自分の作品のテーマは
「救済を求めることの意味」であるような気がしています。


(それにしてもカダフィといいポル・ポトといい
私はつくづく独裁者に縁があるようで・・・苦笑)

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黒こげの天使

 ツゥール・スレン博物館には独房、足かせ、拷問の絵、遺体写真など、
正視にに耐えないものばかり並んでいました。
 ほんとうに辛くて、一刻も早く出て行きたいと思ったのですが、来た
以上は見なければならないと歯を食いしばって眺めました。
 子供達の写真がたくさんありました。殺す前に写真を撮ったのです。
 足がすくみ、もうこれ以上無理だと思ったとき、いきなり、脳裏に
ニキさんの絵が浮かびました。
 大きな十字架を見つめる、黒こげの小さな天使の絵。
 仏教国なのに十字架はおかしいかもしれませんが、宗教を超えた
なにかが、私にあの絵を思い出させたのですね。
 虐殺された人、虐殺した人、どちらも哀れです。
 脳裏にある「黒こげ天使」の絵を、ここに残して帰りたいと強く願いました。

Re: No title

こちらこそお久しぶりです!

そうですね、すごい一年でした。自分でもこれほど濃くなるとは予測していませんでした。
私のほうこそファン宣言してくださって嬉しいです。

カンボジアに行ったことが御有りになるのですね?
今回の記事に書いたところもごらんになったのでしょうか。
天使というモチーフは3.11以降、特に私の中でメインを占めてきましたが
自分なりに救済のイメージを求めていく中で、自然に生まれてきたような気がします。

作品については、好意的な評価が予想以上に多くて救われました。
まあ、インパクトがあるのは確かですね(笑)。

個展会場でお会いできるのを楽しみにしております!

Re: 黒こげの天使

ここまで書いてくださって感無量です。

山崎さんが、カンボジアで私の作品を思い出して下さったということ、
こうしてブログに書かせていただきました。
コメントを読んでいたら涙が出てきました。その涙がどういう涙なのかよくわからないまま。

記事に書いたように、「救済を求めることの意味」が自分のテーマなのではないか、と
最近よく思います。
どんな人間の元へも、どんな深い闇の中へも、神や天使は降りて行くのだろうか?
現実に救いが見えないとき、神や天使はどのような意味を持つのか?どんな姿で現れるのか?と・・・

山崎さんのご覧になったような現場で、
殺す側と殺される側が和解することはおそらくないでしょう。
どちらも内なる地獄を抱えている。まして殺される側の人だったら、死んでも安らぎはないかもしれない。
そういった「悪のサイクル」の中に組み込まれた多くの人々を
等しく救いうるものが果たしてあるのでしょうか?

それは私にも分かりません。一生解けないかも。

一生かかって追及する気はありますけれど。

私がもし、その場に行ったらどんなことを考えるのかな、とも考えました。
おそらくどんな言葉も力を失ってしまうであろう、そういう場所で・・・
でも、ただの独裁への怒りや恐怖だけでは終わらないと思います。

とりとめもない返事になってしまいました。
でも、本当にありがとうございました!

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