3.11から1年を過ぎて

東日本大震災からもう1年。
長いような短いような1年でした。


黒天使劇画調0001

ほぼ15年ぶりに劇画タッチ。
漫画用のインクとペン使用、スクリーントーンがないのですべて手描き!



振り返ってみれば、時間がたつのが速いことに驚くけれど
その、たった1年前のことが
すでに遠い昔のようにも思えるのです。

このブログを始めて、私の頭の中の空想世界を発信しはじめてから
ほぼ1ケ月あとのことだったんだなあ。・・・
その時は分かりませんでしたが、
やっぱり私なりに人生変わりました。

何だろう、「見続けてきた悪夢が現実になった」というのかな。

あの日の前には、
ともすれば「精神不安定な人間の妄想」となりかねなかった私の世界が
あの日の後では多くの人の間で
かえってリアリティを持っているようです。

まあもともと、花鳥風月とは縁のない世界観だったけどね(苦笑)



画家として、自分の作品世界がリアルなものになるのは
好いことなんだけど

単純に喜べないよなぁ、これ・・・
人間として。

そうなったきっかけがきっかけだもの。



最初の揺れからしばらくたって
近くのデパートに買い物に行ったんですが、
1階からいちばん上までの吹き抜けに立って驚いた。

建物の片側だけに照明がついて、
もう片側はすべて消えている。

明りのついている方にだけ人が集まっていて、
ついていない方はほぼ完ぺきな無人。


片側だけ照明がついているデパートというのは
さすがに初めて見たよ・・・


よく行く店舗を尋ねてみたら午後2時で閉まっている。
計画停電の影響だそうです。



食料品コーナーに行ったら、みごとに消えていましたね。
もう棚がきれーいに丸見え。
「もぬけの殻」とはこういうことか、という感じでした。

で、もしや・・・?と思って見てみたら
やっぱりあらかたなくなっていた、ワカメ・昆布の類。
原発が火を吹いている最中だったから、
ヨード補給のために買いまくっていた人がたくさんいたみたい。

バナナダイエットが流行ったとき、
店頭からバナナが消えていたことを思い出しました。


ちなみにうちも、私と父が昆布とかけっこう買いまして
食べきれずにだいぶ残ってしまい
それは今、佃煮にして私のお茶うけにしてます。(←シブいだろ/笑)



忘れがたいことが一つ。


デパートに行く途中に、
道路工事の真っ最中だったところがあったんですが
その日に通ったら工事やっていた!!

おいおい、またいつ巨大余震が来るかわからないぞ?と思いましたが
“それでも工事をやっている”ことに打たれましたよ。

人は、なにはともあれ今現在を生きなければならない。
――こんな格言めいたことが浮かんできました。


作業着にヘルメットのおじさんたちが輝いて見えたなあ。



大江健三郎だったかしら、「ヒロシマ以降」という言葉を使っていたの?
そうすると、これからの世界も「フクシマ以降」とか呼ばれるようになるのかな。
「この作家/画家の世界はまさしくフクシマ以降である」、なんて。

もっとも私の場合、
それ「以前」からそれ「以降」みたいな世界観を持ち続け、描き続けていたんだけど・・・
だからよく驚かれますよ、これ震災の前に描いたの?って。


この震災や、津波その他に遭って
「絵が描けなくなった」という画家さんは
やはりいたみたいです。


私も当初、そのことは怖かった。
現実が表現を超越してしまっていたからね。

実際には停滞するどころかその逆で、
そのあとは以前よりもはるかに広く、濃く
作品世界が広がって行きましたが・・・


3.11と自分の絵については、ひとことで言うのも難しい。
あの日に出くわしたために「天使」という大きなモチーフにであったとしても、です。

さっきも書きましたが
単純に喜ぶことじゃないものね、人の常識として。


私は幸運にも、ほんとに幸運にも
家は崩れなかったし、避難もせずにすんでいる。
しかし、いざそういう状況になって自分がどうなるかは、謎のまま。

ただ私が思うのは、
「そういう状況になっても、記録のために廃墟を描き残せる画家になりたい」ということです。

美しい風景が失われたとき、
描くものがなくなって沈黙するのが普通かもしれない。
でもそこで、
あえて失われたあとの風景を後の人に遺せたらと願います。


ただね、私はあの日のあとでも
「震災そのほか」を意識的に画面に入れたことはないのです。

それでも、私がふつうに描いている作品が
まぎれもなく時代の証言になりうると思いますよ。
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コメント

私も岩手県民です

私も、岩手出身(正しくは両親の故郷が岩手で、自分は生後間も無く小田原に移り住んだ)ですが、震災当日、岩手の祖母(軽米町在住)も被災していないか否や心から心配していました。翌日、電話を通じ、無事が確認されましたが、やはり同じ岩手の民として、いつ繰り返されるだろう悲劇に、気が気でならなくなりました。自分は何が出来るだろう?他にも考えるべき事は…等、頭が一杯でクラクラしそうです。でもやらねば始まりません。1歩1歩可能な限り続けていくことです。ニキさんはニキさんなりに、且つぼくはぼくなりに出来る事を示していくだけですから…(偉そうな事言って失礼しました)

Re: 私も岩手県民です

過去記事まで読んでくださったのですね。ありがとうございました。
そうですか・・・自分のルーツでおばあさまもいらっしゃる土地ともなれば、心に抱えたものもさぞ重いことでしょうね。
幸いにも私は家や家族を失ったり、負傷したりということはありませんでしたが、やはり当時のことを思い出すと、相当神経がまいっていたことが分かります。あの時から世界が変わってしまった、という思いは今でも変わりません。それでも岩部さんのおっしゃるとおり、自分にできることをしながら一日ずつ生きていかなきゃ、ですね。

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