不在者は帰還したようです

4月2日、初出展となった日本アンデパンダン展は
おそらく無事に終了したはずです(笑)。

殉教者の頭部
ひそかに出展も考えていた“殉教者の頭部”(2011年 油彩 F6号)
洗礼者ヨハネの切り取られた首のイメージに
能面のイメージを加味
して描きました。


このあと、もし手違いがなければ
京都と広島に巡回するはず。

作品が送り返されてきたとか(←ないことを願う)、
だれかに惚れこまれちゃって盗難に会って行方不明とか(←たぶんない)、
神隠しにあって消えたとか(←たぶん・・・ない)、
保管中に焼失したとか(←絶対にないことを願う)、

そういうことがなければ。

日本アンデパンダン京都展は 4.17-22/京都市美術館本館
日本アンデパンダン広島展は 5.1-6/広島県立美術館


です。


前のリポートで書いたと思うのですが
私は国立新美術館での東京展の初日に行きました。
で、映画監督の森谷博さんが作品解説を撮影して下さったのですよね。

そのときにしゃべったことをここに載せようとおもいます。
ちょっと長くなりますけど、作品について言いたいことがようやく言葉になったので。



「“不在者の帰還”について」


この作品でテーマにしたのは人間の痕跡、ことに肉体としての一個の人体の痕跡です。
亡くなった人、とりわけ暴力的な手段によって地上から奪い去られた人体の記憶が、もの言わぬ、無機物の遺品に残るということです。
そこにさらに聖遺物のイメージを重ね合わせて描いています。
不在者とはまぎれもなく死者であり、帰還とは記憶がよみがえること、さらに遺品を見つめているうちに
本人が返ってくるような錯覚を抱く、私自身の幻想の言葉でもあります。


今回のアンデパンダンの話を聞き、さらにこの展覧会が広島に巡回すると聞いて、出展するならこの作品しかないと思いました。

そこには二つの理由があります。

ひとつは、広島でかつて撮影された多くの写真や映像は、
年齢ひとケタのころにはじめてみて以来20年ちかくも私の記憶にとどまり続け、
成人してからも神経症と日常的な悪夢と金縛りをもたらすひとつの原因となったものだから
です。

私にとって広島の記録は「情報」や「学習」のレベルをはるかに超えて、個人レベルのトラウマとなりました。

トラウマとは本来、生命にかかわる危機を体験した人に限って使える言葉のようですが
私の場合は「使ってまったく問題ない」と心理担当のお医者さんが保証して下さいました。

それでトラウマという言葉を使っています。
恐ろしかったのは広島に限りません。世界各地の映像は私の頭にストックされて今の私の世界をつくりあげました。
残された恐ろしい画像や映像を見てしまったことは私の人生を変えてしまったのです。
絵を描いているのも実は自身の抱いてきた恐怖を浄化したいからなのです。
幼いころから終末的な世界観を抱いてしまったことには、日本に生まれながらキリスト教教育を受けたことも影響しているのかもしれません。


もう一つの理由は、広島という土地には今でも、この作品のテーマである「人体の痕跡」を示す遺品が常に展示されている場所があるからです。

人体のわずかな一部や、所持品や、来ていた服を残して地上からいなくなった人たち。
その人たちに会ったことがなくても、かつてたしかに地上にいた「ある特定の個人」が完全に失われたこと、その喪失の事実を小さな遺品が突き付けてくるのです。
そして多くの人々に見られることで、遺品は聖遺物へと近づいて行くのです。

私がこの絵を描いたのは、実は3.11の前の年です。
生まれて初めて描いた100号で、イメージはあまりに鮮明で制作中も不思議なくらい迷うことなく、10日で描き上げました。
さらに、あるアートフェスに出展し、この絵によってはじめて公的な場で高い評価をいただけたといういわくつきの絵です。


私は震災前から震災後のような世界観を持っていたのです。
作品を見た人はたいてい驚きます、震災の前に描いた絵も震災の後に描いたと思うからだそうです。

3.11をリアルタイムで体験して、
やはり抱き続けていた悪夢が現実になったような感覚は今でも持っています。
絵が描けなくなるかとおびえたこともありました。
現実が表現を超えていたからです。
しかし実際には、3.11以降の世界に移ったことで、表現がそれ以前よりもはるかに大きな普遍性を得たところがあります。
見る人の側でも、より「リアルな」ものに映るようになりましたと、そう言って下さる人がたくさんいます。
これをのんきに喜ぶことは、それこそ人としてできませんけれど。


終末に向かっているような世界の中で、それでも一日ずつ時を刻んで生きていかなければならない、
そういう人間の姿は3.11の前も後も、私の大きなテーマです。そんな中で自分なりに救いの形を求めています。
救済そのものを描くことはまだできません、それが見えないからです。でも救済を求めるその過程は見える、そして描くことができる。私自身がそうだからです。

最後に、この作品を一番最初に公の場で評価して下さった、春蔵絵具会社の長崎さんと長谷川さんにこの場でお礼申し上げます。



これだけの言葉を見出すのに2年かかったのよ、私。
イメージを絵にするのにだって・・・そう、14年くらいはかかったかもしれないなあ。


形になってしまえばあっけないくらいのものだけど
そこにいたるまでには何年もの時間と深い葛藤があったのです。

私にとって、言葉と概念(こんなこと言いたいなあ、と形にならないながらも思ってること)は
ちょうどカギとカギ穴のようなもの。


カギ穴にぴったり合うカギがあってはじめて、扉が開くんですね。
で、扉の向こうには私の心の中の世界が開けている、という。



さて、今も劇画はコツコツ進行中です。
また次回をお楽しみに☆
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