エロスと聖性の謎

マグダラのマリア0001

びっくりしちゃいました?

この作品は、イタリア17世紀バロックの画家・フリーニという人が描いた
「聖女マグダラのマリア」です。
なぜいきなりこのような大胆な?画像を出したかというと
今回のテーマにそっているからなんですね。



先日、劇画第13回をUPしましたら
劇画連載史上(といったって初めてなんだけどさ/笑)最高のアクセス数を記録してしまいました。



修道院での人間模様を描いた回ね。
この回はけっこう評判だったみたいです、いろいろな意味で(笑)。
理由はまあ、こちらのリンクから実物を見ていただくとしませう↓

「春のはじめのころに」第13回

やはり、エロスは大切です
人間を人間たらしめている重要な要素ですから。

動物には生殖はあるが、エロスはない。

「ホモ・サピエンス」は「ホモ・エロティクス」でもあるわけです。
(多少の文法上の間違いがあったらゆるしてね)


私もアーティストとして、エロスの表現は避けて通れない。
というか、自然とそういうものを描きだしてしまうでしょ、アートって。


そこで今回は、ずばり「エロスの哲学」です。
キリスト教の絵が多いですが、私にとってやはり一番影響していますので。



聖セバスティアン0001

こちらはグイド・レーニ作「聖セバスティアン」
三島由紀夫がこよなく愛したという作品です。

聖セバスティアンは、古代ローマの軍人でしたが
ひそかにキリスト教に改宗し、やがて殉教したという
伝説上の人です。
裸にされて矢を打ち込まれた姿で描かれるため(実際にはこれでも死ななかった)、
男性の裸体を描く格好のテーマになったんだとか。



聖アガタ0001

ピオンボ作「聖アガタの殉教」
聖アガタは、殉教の時に乳房を切り取られたという伝説があるのです。




モロー作 サロメ0001

これは有名、モローの「サロメ」
モローは子供のころから好きでねー、母と二人で象徴派の展覧会を見に行ったこともあるの。



フーケの聖母子0001

フランスの画家ジャン・フーケの「聖母子」
聖母マリアが、幼子キリストにお乳をあげている図は
「授乳の聖母」という定型図像なのですけど
マリア様が胸を出しているのはまずい、ということで次第に描かれなくなったとか。

(※本をスキャンした画像のため、一部、端の方が欠けていたりします)



何点かあげてみましたが、どれもなかなか!でしょ?




キリスト教美術って、実はエロスの宝庫なんですよ。



実際の教義では、性的なものを強く非難していて
淫欲は、七つの大罪の中でも一番悪いこと――とされているのです。

そこで、殉教図や聖人像などを通してエロスを表現するようになったというわけ。

いささか屈折した表現なのですけど、
この屈折こそが、キリスト教美術のエロスを(はからずも?)強烈なものにしたのでは。


わが敬愛する澁澤龍彦氏は、さっきあげた「聖セバスティアン像」を
『聖化された道徳的マゾヒズム』という
実に見事な形容で語っていらっしゃいます。

『道徳的マゾヒズム』とは、
なにか偉大で崇高な目的のために
自分の身をささげたい!犠牲にしたい!
そのために敵に迫害されたい!という強い欲望のこと。

殉教図というのは、ほとんどがコレをはらんでいるみたい。



そこで考えるのは・・・

エロティックな美術の中には
あからさまな、時には不道徳な欲望を描きだしたとおぼしい絵も多数あるのに
時に崇高でもあるのはなぜか――ということです。

中には、なんの聖性ももたない、ただ俗悪なだけの絵もあるのに(笑)。


人間的な、低い次元の欲望をはらんだ作品が
その低い次元でとどまらずに、聖性をもって輝きはじめる
その一瞬の変化というのは、どうやって生まれるのだろう?



これは難しいテーマ。


私も殉教図に影響を受けた絵を描くことがありますけど
出来上がってみないとわからないし。
聖性というものは、そもそも描こうと思って描けるものじゃない。

消えない歌  2011年 油彩 F20号
【“消えない歌”  2011年 油彩 F20号】


私はエロスに関しては、澁澤龍彦信奉者なので

「エロスは本来、不道徳・不自然なものであり
生を称揚するあまり死にもいたることがある」
「エロスはタブーを侵す喜びであるから、健康的・道徳的なエロスなど存在しない」


という理論に全面的に賛成します。


「生を称揚するあまり死にもいたる」というのは
エロスの持つパラドックス。
たとえば殉教というのは、自分の信念を貫くあまり死を呼び寄せてしまう行為です。
信念はその人にとって「生」そのものであり、
その「生」を保ち続けようとすれば死が待っている、という。

エロスが「タブーを侵す喜び」だというのは
たとえば、ポルノグラフィに不倫や、処女を誘惑するというテーマが多く見られることに
端的にあらわれているそう。なるほどね。

「タブーを侵す喜び」だからこそ、
暴力シーンの中にもエロスが潜んでいたりするわけです。

だいたい、エロスというのは「タナトス(死)」と常にセットになっていますからね。



ちなみに、例の劇画で
“あの場面”が修道院の墓場で展開されているのは
聖なる場所への冒涜という意味と、豊穣とは無縁の愛欲という意味と、ふたつあります。

いわば罪の快楽であり、ここには私のささやかな「エロスの哲学」があるわけです。



今回は俗なようで崇高な、単純なようで深遠な、エロスのお話でした!
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