パスカる。

最近、パスカルの「パンセ」にけっこうハマってます。

12.7.4.パスカル0001



パスカルと言えば「人間は考える葦である」の言葉が有名で
あまりに有名なので
ここだけしか有名でなくなっちゃっているようなフシがありますが(笑)、

読んでみたら共感できることいっぱい。



本屋さんで「パスカルの『パンセ』ありますかー?」と聞いて、手に取ったら
文庫本にして厚さ3センチ弱もあるのよ、これが。

パスカル先生、「考えることにこそ、人間の偉大さがある」と言っていますが
そう言っているだけのことはあります。
考えることいっぱいあったのね。

毎日、チビチビと読みこなしています。



例の「考える葦」は、「パンセ」の断章347にある言葉です。
人間の弱さと尊厳について短くも的確に書いています。


引用してみますと――

「人間は一本の葦にすぎない。自然の中でも最も弱いもののひとつである。

しかし、それは考える葦なのだ。人間を押し潰すためには、

全宇宙が武装する必要はない。(・・・)

しかし、たとえ宇宙が人間を押し潰したとしても、

人間は自分を殺す宇宙よりも気高いといえる。

なぜならば、人間は自分が死ぬことを、

また宇宙の方が自分よりも優位だということを知っているからだ。(・・・)

だから、わたしたちの尊厳は、すべてこれ、考えることの中に存する。」


「パンセ」は、パスカルがキリスト教の護教論として書いたものだとのこと。
しかし扱っている問題は、宗教の枠をこえて
人間の普遍的なものです。

まあ、中には信者でない人だったら
「はいはいわかったよ」という感じだろうな、って文もありますが(笑)。


でも、それを超えて私は共感しました。
特に彼の人間観、「人間の悲惨さと偉大さ」についてです。

いままさに読んでいる真っ最中なので、あまり断言はできないのですが

人間の本性は堕落している、
しかし同時にそのことを知っているという偉大さがある、ということ。
知っているがゆえに、堕落した本性から逆にすばらしいものを生みだした、と。



人間の本性は悪だとか、いややっぱり善だとか、
そういうとめどない議論があります。今でも。

でも私はどちらでもないと思います。

いや、むしろどちらでもある、と思います。



人間のやってきたことを見てみると
どう考えたって悪の方にかたむいていますが
その中でキラッと、人間のすばらしい面が輝いた局面というのが実際にあるわけで。
砂の中で水晶がかがやくようにね、めったにないことであっても。

しかし、だからといって
その水晶一粒のために本性をすべて「やっぱり善だ!」としてしまうのも
どー考えたって無理があるよなぁ・・・



善か、悪か、とどっちかにまとめてしまうことは
そもそもできないんじゃないかな?
人間はいろいろな面を持っていると、それでいいんじゃないでしょうか。



もっと言えば、人間は自分の本性を邪悪だと感じられる能力があった。
だから、そこから「善」という概念すら生みだしたのだと。


本性をほっといたら自分たちが絶滅しかねないから、「善」を生みだしたのではないかな。



この「善」というのは、ほかの呼び方でもいいんです。

ある人々はそれこそ神と呼ぶでしょうし
ある人々は道徳と呼ぶでしょう。
ある人々は良心と、または理性と呼ぶでしょう。



パスカルは、この「人間の悲惨さと偉大さ」はどこに由来するか?を
原罪と神の救済に求めました。

護教論だからそうなるだろ、というのはまあ、そうなんですけど(笑)、
人間の本性の中にいかに邪悪な面・しょーもない面が多いか、という点を
そのまま「原罪」という言葉に置き換えてみることはできます。

神の救済は「信じるか、信じないか」になってしまいそうですが
もうひとつ、パスカルが「偉大さ」として言っている「考えること」がありますね。
理性と言ってもいい。

理性というのはおそらく、人間だけが持っている宝です。
キリスト教でも、理性は神から特別にプレゼントされたものということになっているんですよ。

だから、たとえ宗教が同じでなくても
パスカルに共感することはできるはず。



なんで、急にこんなことを書いたのかというと
パスカルについて書くことが、
私の作品世界を解説するのに、実にちょうどいい!的確だったから

特に、あと一回で連載が終わるという劇画作品。


あの作品では、『永遠の王国』と呼ばれた国が崩壊した後という
いわば黙示録の後の世界を舞台にしています。
当然、善や悪といった概念もないに等しいのです。
支配するのはただ、力だけ。


そんな世界を舞台に、
人間のいろいろな面(多くはむき出しになった本性)を描くことで
はたして「善」や「悪」とは一体何なのか?という疑問を提示しているのです。
私自身が、描きながらずっとそれを考えてきました。

あの作品が、今まで見たこともない劇画だと感じたら
それはおそらく、「正義のヒーロー」がいないからでしょうね。


そもそも、「善」や「悪」という概念そのものを問い直すところから始まっていますから。


そして根底にあるのが、「人間の悲惨さと偉大さ」という考えなのです。
パスカルに共感した通りの。



付記。

私、むかしニーチェに挑戦したことがあるんですが
何回読んでも途中でザセツするんですよね。
途中で読みたくなくなっちゃうんです。

ニーチェの思想は「生の肯定」だといいますが
それを読み取る以前にザセツしてしまう(笑)

でもパスカルは続くんだなぁ。


むかし、自分はぜったいにニーチェだと思っていたのに
実際にはパスカルだったようです。

パスカルとニーチェの対談ってのを一度みてみたいな。
まあ、5分ともたないだろうけど・・・
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