「春のはじめ」解説 世界観・テーマ編

劇画作品の解説、第一回目はテーマ&世界観、です。


この作品、一見してあまり見慣れない作品でしょうね。
ジャンルを決めるのもちょっと難しいですが、
あえて言えば終末モノで人間ドラマ、となるかな。



本編第一回目のナレーションで語っている通り

かつて「永遠の王国」と呼ばれた国があり
その国がなんらかの理由で崩壊したあと――の話です。

永遠の王国、ありし日12.7.25.
在りし日の王国風景。
作品中、ひとコマだけ描いたもの。


廃墟12.7.25.
現在の風景。第一回で描いた、廃墟の街並みです。


作中ではその国の名前は出していません。
崩壊した理由も述べていません。



なぜなら、それらは特に重要なことではないからです。


お読みになった方が自由に想像していただいていいですし、
なによりも架空の世界なのです。
そのほうが、テーマがより純粋に提示できると思ったので。

(完全に架空の世界を舞台にしているため、
人物の名前から服装から、風景から、建物から
見事なまでに無国籍ですw)


その名前も明かされない「永遠の王国」の跡地で、
わずかばかりの望みを託して南へ旅を続ける難民たちがいます。
難民たちの旅が物語の縦糸。

その、難民たちの中に混じっている盗賊の男と
孤児の女の子の奇妙なふれあい、
彼ら2人を中心としたいろいろな人々との人間模様

これらが横糸です。



私は「春のはじめのころに」を
一種の哲学小説というか、思考実験のつもりで描きました。



思考実験というのは、
慶應で学んでいる時、哲学のテキストにのっていた“考える方法”のこと。
私なりにこれを応用してみようと思ったんですね。

(というか、考えてみたら私の作品ってどれもそうか・・・)

ある問題に答えを出そうとするとき
現実に実験をするのが難しい場合、
いくつかの前提と材料を用意しておいて、実験に相当するものを理論の上で行います。





私はこの作品を通して、

「善悪とは、いかにあいまいなものか」

を示すことで

「いったい、何が善で、何が悪なのか?」

という問題について考えてみたかったのです。


これ、じつに人間の根源にまでかかわってきてしまう問題なんですよね。




正直、描いたところでハッキリと答えが出るわけもないのは
初めから分かっていました。

もとより答えが出ないのは承知の上で、
それでも描いてみたかった。


私なりに答えの尻尾でもつかむためには
それこそ一生かけて考え続けなきゃならないテーマですよね、こりゃ。
それでも、考えの端緒にでもなればいいな、と思って。
だからこれはホンの糸口です。



さて。



「何が善で、何が悪なのか?」という永遠の謎にいどむために
私はまず、物語の舞台として
「善悪の基準がなくなってしまった世界」を設定しました。


これがまず、思考実験なら前提にあたること。

そうして生まれたのが、最初にちょこっと書いたように
「永遠の王国」が崩壊した跡地――です。



そこに取り残された人々が、生きるためにどうするか?

この人々が、思考実験の材料に相当するものです。


難民たちのとりうるさまざまな行動や、思考や、言葉を想定することで
善悪という概念そのものを問い直すことができるかもしれない。


彼らがいるのは、力だけが支配する世界です。
弱い者は強い者の犠牲になり、かえりみられることはない。
そして弱い者も、自分よりももっと弱い者を見つけて
その者から奪い、その者を苦しめて力を示すことで
ようやく生きている。
見事なまでの、力のピラミッド構造。


そういう中で善悪の判断はいかにして可能なんだろうか?


もっといえば、善はいかに可能か?




「春の初め―」が独特の雰囲気を持っている、とは
よく言われることで
私自身、こういう作品ってあまりないかな?と思いつつ描いていました。

それはまず「正義のヒーロー」が存在しないところにあるでしょう。



世界の終わりを扱った物語や映画は
世に数多くありますが、
そういう作品でも、内容は実は勧善懲悪ものというパターンが多いような気がします。

悪に支配された世界を正義のヒーローが救い、
新たな、平和な世界が生まれる――というパターンです。


しかし、この作品はまず、そういう物語とは違います。
そりゃそうですよね。
そもそも「正義(=善)」という概念そのものを問い直すところからはじまっていますから。

正義のヒーローが悪の一味をたおして、メデタシメデタシとはいかないのです。



正義のヒーローはいませんが、
かわりに悪をなす人間ならそりゃー出てきます出てきます(笑)


それがまた、この作品のテーマともかかわってくるんですね。

「善悪の概念が崩壊した世界」だから
厳密にいえば悪とも言えないはずなのに、
人々の言うことややることを想定してみたら
「悪」としか思えないことのほうが
はるかに多いんです。


善の形を想定するのは難しいのに、悪の形はいとも簡単に想定できる。



主人公の獣目にしたって盗賊ですし
強欲な人間、暴力で支配する人間、さらに弱い立場の人々だっていやらしさむき出し。

しかし、そういうさまざまな「悪の形」を通して、
ただ彼らを断罪するのではなく
人間の哀しさ、おかしさ、残酷さ、したたかさまで表してみたかった。


獣目というキャラクターが、ただの悪でないことは
作品全体を通して表現してきましたが
そういう“悪にして悪でない”彼の行動によっても
「何が善で、何が悪か?」というテーマを象徴させたつもりです。




実は、「春のはじめのころに」には
もう一つのテーマがあります。


ヒイナという子供を通して
白紙の魂のもつ可能性と危うさ――も描いてみたかったのです。



ヒイナ初登場12.7.25
ヒイナって、実は第二回ではじめてお目見えなんですよねw



この作品がもつ(と言われる)“独特の雰囲気”は、
「正義のヒーロー不在」に加え
ヒイナという特異な“子供”によるものだと思います。

キャラクターについてはまた詳しく書きますが、
とりあえず書いておきたいのは
「春のはじめー」では
「無垢」と「善」をまったく別のものととらえている
ということ。



ヒイナというキャラは、混沌の中に投げ込まれたまっさらな魂そのものとして描きました。


まだ「善」にも「悪」にも染まっていない、白紙の状態です。
そんな白紙の魂が、周りの大人たちの言葉や行動を通して
人間というものについて学んでいく。

オスカー・ワイルドの童話が好きで、よく読んでいたのですが
彼の童話には「無垢⇒経験⇒高次の無垢」という流れがあるそうです。


私もまた、それに似た人間観を持っています。
はじめの段階の「無垢」は、同時に「無知」でもある、
いわば未熟な無垢なのです。

この段階では、まだ人を救う力にはならない。
「善悪」という概念もよくわからず、同時にその複雑さも知らないからです。


「未熟な無垢」が、「高次の無垢」に至るまでに必要な「経験」の
そのまた最初の段階、
それが幼いヒイナの、作中の旅なのです。



タイトルにした「春のはじめのころに」というのは
長い冬が終わり、さあ春が始まる・・・というはじまりの意味です。

冬は「永遠の王国」を滅ぼしてしまった何か大きな災厄であり、
春はそこからの、人々の生活の新たな始まりなのです。



しかし、その春は決して楽園の到来ではない。



人々は新たな生活を、破壊された王国からはじめなければならないのです。

そういう、「おそろしく気の重いはじまり」という意味を込めています。



次回の解説記事からは、登場人物それぞれについてお話します。
乞うご期待!

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