「春のはじめ」解説 キャラクター編・ヒイナ(其の二)

さて、またもお久しぶりに劇画解説の巻。
ヒイナ編つづきです


ヒイナ12.8.28.
第17回より。総督のお気に入りの梟と、ヒイナ。



前の「ヒイナ編1」や世界観編で
ヒイナというキャラクターが表しているものについて書いてきました。



ヒイナは“経験を経る前の無垢、つまりいまだ人を救う力には至っていない無垢”である

(※オスカー・ワイルドの童話にある、無垢⇒経験⇒高次の無垢の第一段階)



子供の持つ二面性、無力なものの弱さと観察者のこわさを持った存在である


なーんてことでした。



その続きです。




ヒイナは物語の最後で
いちばん大好きな男についていってしまうのですが

それまで、(なんとなくですが)自分の保護者のようになってくれていた
ヨリスという中年の男性のことは気にしています。


このとき、宿の部屋に天使のカードを置いてゆく場面は
ヒイナの気持ちを表すシーンとして必ず入れたかった。

そのカードは、
ひとりぼっちになったときに最初に助けてくれた
修道院の院長がくれたものだったのです。




ヒイナはそれまで、ヨリスと一緒にいて
彼に連れられて町の様子をじっくり観察してきました。

町の人々が、支配者である“総督”に頭を下げること、
“総督”が梟を飼っていること、
などを知り、
「梟を逃がせば大騒ぎになって泥棒退治どころじゃなくなる」――と考えたわけです。


しかし、果たしてヒイナはここまで予測していたのでしょうか。
もしかしたら、大好きな男の人を殺されてしまうなら――と
子供らしい、単純な仕返しのつもりだったのかもしれませんね。




「春のはじめのころに」では、
最後にようやく、盗賊の男がヒイナを受け入れ
彼女は愛する人といっしょに旅をすることができるようになったのですが
本当の解決にはなっていません


本来なら、ヒイナのような小さな子供は
“秩序のある世界”で、
人間のあいだで生きていく方法を学ばなければならないのですが・・

彼女にとって“混沌の世界の英雄”についてゆくことが
より 幸せだったとしても、
小さな子供がそっちについていくことは、普通だったら止めるべきことでしょう。


それがないというのは、それだけこの作品の舞台が異常だということ。





ヒイナを描くにあたって、
小さな子供のしぐさや言葉は
けっこう研究しました。


まだ、大人のように器用にできないけれど
本人は懸命に生きている、そういう感じを出したかったのです。


セリフにしてもそう。

自分が思ったことを
懸命に言葉にしようとしているのですが
それが言葉にならない。


逆にいえば、
言葉に出てこないところに
真にいいたいことがにじみでてくる――
そんなセリフにしました。


たとえば、一番最初に獣目と出会ったときの
「見てたんだ あたし  でも誰にも言わない」とか

その後、彼と会うごとに交わす会話とか

修道院での、病気の女の子とのたどたどしい会話とか・・・


こういう場面で、ヒイナのセリフの特徴はよく出ているかなと思います。



ヒイナと病気の子12.8.9.
第13回より)


ヒイナが“安心して可愛がれる子供”の
ステレオタイプではないにもかかわらず
「可愛い」と感じてもらえたと言うのは、
彼女のそういう「生きることへの懸命さ」に共感を得られたからかな――
と思っています。



個人的には、後ろ姿がけっこう好きです(笑)。

12 7 7
なんか似ている一人と一羽・・・




実はヒイナ、ラストシーンにいたるまで
作品中で一回しか笑顔を見せていません。



これね。
ヒイナ、ラスト12.8.9.
第18回より)


微妙に「笑っているかな?」という場面はあっても
あきらかに目が笑っている、というのは
ラストのほかには一度だけなのです。
それも、注意して見てようやく気付く程度。


あえてどこかは書かないでおきますので、
劇画をさかのぼってみて
「ヒイナの笑った場面」をさがしてみるのも一興かと・・・(笑)。

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