抽象画、はじめました

タイトルそのまんまですが、抽象画はじめました

下塗り12.8.15.0001
只今、描きかけのキャンバス・・・



正確な日にちは残念ながら特定できないのですが、
今年・2012年8月から



ふつう、あるジャンルの作品群を
「はじめました!」と宣言することはあんまりない・・・よね。


だって、
「はじめました!」と言って始められるようなモンじゃない。
「冷やし中華はじめました」とかじゃないんだし。




それでも、このたびの変化はかなり!劇的に起こりました。



3月から描いていた劇画が、7月に完成したことは
どうやらその大きなきっかけになったようです。

この変化で色々な人をだいぶ驚かせましたが(笑)、
誰が驚いたって、作者の私が一番驚いているかも。




もともと、私は自分が抽象を描くなんて夢にも思っていなかった。

私が描きたかったのは「人」であり
とにかく「人」であり
なにはともあれ「人」でした。

そして、その「人」たちの置かれた状況そのもの。




空想世界を油彩でドキュメントしている――というのが
制作のありかただから、まあ当然か。




具象を突き詰めていくといつしか抽象になっていくもので、
たとえば印象派の画家・モネなんか
晩年にはほとんど20世紀半ばの抽象表現主義みたいな絵を描いています。



モネ、12.9.10001

モネの最晩年の作品。ジヴェルニーの自宅を描いたものだそうです。





ポロック、12.9.10001

そしてこちらが抽象表現主義の画家・ポロックの作品(部分)。




こういうかたちで抽象に近づいて行くならともかく、
はじめから抽象(広い意味で、何を描いているかが分からない絵)志向というわけでは
けっしてなかったのです。




二十世紀の抽象彫刻家・ブランクーシが
こんな言葉を残しています。
(例のごとく記憶なので、一字一句このとおりではないかも。
それでも内容はこのとおりです)

「単純は美術の目的ではなく、
事物のリアルな感覚に接近していくと単純になる」


12.6.27.ブランクーシ
まえにUPしたブランクーシの作品「プロメテウス」。




――――これはちょうど、
具象をずっと描いてきた画家が
表現すべき本質を見出して画風を抽象化させていく、
そのことを言っている言葉ですよね。

さっき書いたモネとか。



私の場合もこの形みたいです。


だから、抽象をはじめるには
具象を描きつつも
潜在していた準備の期間がしっかりあったようです。





劇画制作がひとつのきっかけになったというのは、次のようなこと。


私はとにかく「人!人!人!!!」を
描きたかったのですが、

油彩で一人描いている時間に
劇画だったらイヤというほど描けるわけですよ(笑)。



あの作品は220ページありますけど
ほとんどのページにはかならず人が出てくるし、
それも、1ページに何コマも
その一コマに何人も、描くことになる。


同じ人を何十回も、何百回も描くのが普通で
だから好きなキャラ(←笑)だって思う存分描ける。



もう、自分で恥ずかしくなるぐらい描ける。



そういう、嵐の如き4カ月をいちどくぐり抜けて
“劇画”というジャンルを自分の制作方法として手に入れました。
そのおかげで、
「人を描く」ということに執着しなくなったのかもしれません。

人だったら、劇画でいつでも、すきなだけ描けるから
その分、油彩に表現のゆとりが生まれたような気がします。





油彩に人が出てくることももちろんありますよ。
ただ、その際でも
以前とはだいぶタッチがちがう。

すくなくとも今はかなり熱中しているので
当分は抽象化した作品群が続くと思います。




何か、ちょっとずつ自分の制作に「自由度」が上がってきている気がします。

コメント

一度は通る道

  ニキさんが抽象画の門を前に、これからくぐろうとしていらっしゃるとの事。絵を描く人が一度は必ず通り抜ける門。直ぐ通り抜けてしまう人、そのまま抽象の世界に留まる人、具象と抽象両方の世界を行き来する人。様々ですが、ニキさんはどう言う抽象の世界を創造なさるのか、その後どうなさるのか、興味津津です。
 私も三十代の頃に潜り抜けました。

Re: 一度は通る道

岡田@足柄の里さんも抽象画を描かれていたことがあるのですね!
その頃の作品も見てみたい気がします・・・

私自身、作品がどうなっていくか予測不可能なところがあります。
“抽象化”した油彩作品がこれからどうなるか、
ほとんど見ているみなさんと同じくらい「どうなるんだろう?」という感じのはずです。

どうぞ見守っていて下さいね。

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)