「春のはじめ」解説 キャラクター編 修道院長

おそらくは絵の描きすぎで、肩がたいへん痛いデス・・・

前にもあったよなー。
東日本大震災直後、とりつかれたように絵を描いていた時。


さて、気を取り直して劇画解説行ってみよう!!

12.9.5修道院長
修道院の院長先生ご登場です。



劇画「春のはじめのころに」には
重要な男性キャラクターが3人いまして
第12回第13回第14回に登場する修道院の院長はその2人目です。

(1人目は言わずと知れた?獣目です)




この作品では、けっこう人間という生きものを
しょーもない存在として描いているのですが
そんな中で一人ぐらい、こういう人がいてもいいんじゃないかな――
と思って描いたのが、この人。



この修道院長は、はじめから“聖者”に近い人として描きました。

だから、「春のはじめ」のどこを見ても
これほど、一種人間離れした優しさを持っている人は
おそらく他にいません。

彼自身のキャラクターや、彼が出てくるエピソードは
イエス・キリストの話を意図的に反映させています。




挙げてみますと――



●難民に食べ物を配ったり、病気の人を世話したりしている



12.9.5 治療のシーン
第12回より)


実際、中世の時代から、修道院ではこういう活動をよくしていました。
公共の福祉がない時代、教会や修道院は人々の避難場所だったわけ。

イエスの生涯にも、食べ物を奇跡で増やしたり、分け与えたりする話や
病人を治した話がよく出てきます。






●手の傷跡にまつわる話


12.9.5手の傷のエピソード
第12回より)



これは、物語がはじまる前の時点でのエピソード。
回想シーンで出てきます。

修道院の敷地を軍に提供せよ、と命じられたとき
彼は断ります。
すでに多くの人が避難してきていたから、
その人々を放り出すことはできないんですね。


それで両手を撃たれてしまう。


イエスは十字架で処刑された時に
両手足に釘を打ち込まれています。

このエピソードでも、
同じようないきさつで、同じような場所に傷を受けたことで
院長先生のキャラがイエスと二重写しになるようにしています。





ただ、イエスは神の子ですから
自身の犠牲によって人々を救ったのですが
院長の場合はどうなったのでしょう?

たとえ彼が自分を犠牲にしても
おそらく、軍の命令は変わらず
人々は外に出されてしまったことでしょうね。



これは“病人の世話”についても同じで
イエスはどんな人でもすぐに治してしまいましたが
この修道院長は当然ながら、必ずしも治すことはできません。


実際、ヨリスが連れていた女の子は
出発したあと病気で亡くなってしまうのです。




しかしヨリスはヒイナに
「ああいう人に会えてよかった」と言っています。




実質的には何の意味もなかったとしても
それでも、人々を守ろうとした彼の行動は無駄なんだろうか?
無駄ではないだろう、
それを記憶し、語り伝える人がいる限り。


そんな思いで描いてみました。





舞台となっている「王国」が廃墟になった理由は
作中でははっきりと描いていないのですが
どうやら軍隊が活動していたらしい、ということが
この話で分かるようになっています。

外国との戦いか、それとも内戦かもしれません。
現実の世界でも、いかにも紛争地でありそうな話でしょ?





さて、一回でまとめるつもりが
長くなりそうな雰囲気なので(笑)、以下はまた次に回しましょう。

どうも、この修道院長のことを語りだすと長くなるんだよねー、私。

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