「春のはじめ」解説 キャラクター編・修道院長(其の二)

さて、修道院長つづきです。

このキャラはイエス・キリストを思わせるように
意図的に設定したところがある
――なんてことを解説してきました。

そのパート2。



●一番弟子の名前が「ペトロ」

ペトロ、12.9.5
第12回より)


イエスの一番弟子はペトロといいます。
もとは貧しい漁師で、けっこう気性の激しい人だったようです。


(※「ペトロ」とか「ペテロ」とか、言語によって表記はいろいろあります。
  ちなみに、英語では「ピーター」になります)


彼には、イエスがとらえられたとき
大祭司の下僕マルコスの耳を切り落としたという話があります。

このとき、イエスはペトロを戒めて
「剣を取るものはみな、剣で滅びる」と言ったとか。



本作でも、院長の手の傷にまつわるエピソードをヒイナに語る時
「自分も復讐したかった」みたいなことを言っています。

まあ、これが普通の人間の反応でしょうね。


イエスの弟子たちは、人間的な弱さや怒りを次第に克服していくことで
次第に神に近づいてゆくのですが
ここでの「ペトロ」もそういう人です。



ちなみに宗教画でも、ペトロは本当にもじゃもじゃ頭で描かれるんですよ。
(老年の場合ハゲてることもあり/笑)


文字を読める人が少なかった時代、
宗教画は“絵で読む聖書”でもあったので
「この人がこの聖人だ」と、はっきり分かることが大切でした。

そのため、特定の聖人を描くときは
かならず描くべき特徴というのが決められていたのです。
(これをアトリビュートと言います)

たとえば、聖母マリアは赤い服に青のマント、とかね。


ペトロはそんな中で、短い巻き毛と髭を持った
精悍な男の姿で描かれ
青の服に黄色(金)のマントを着ています。
そういうきまりでした。



この作品では、なんだか
若いころのボブ・ディランみたいになっちゃいましたが・・・笑
(ぶっちゃけ、ディランの顔もけっこう好きなんだよねー)





●ヒイナといっしょにパン作り、の話


12.9.5 パン作りのシーン
第12回より)



イエスのたとえ話に
「天国はパン種のようなものである」
という言葉があります。



つまり、粉の中にパン種(酵母とか、今ならイーストとか)をいれて
生地をふっくらさせるように

心の中にいつも天国を思い浮かべて、
そこにふさわしい人になるようにしていこう――

という話。



日々の小さな善の積み重ねが天国への道、一日一善ってことです。



また、聖餐の儀式のため
キリスト教ではパンはイエス・キリストの体を象徴するものとなっています。

(これは、イエスが自分の処刑を予告した「最後の晩餐」において
パンを自分の体、葡萄酒を自分の血、として弟子たちに分け与えたことによります)



パンは精神的にも肉体的にも、生きるための大切な糧なのです。
ちょうど、日本でお米が神聖視されるのに似てますね。



このエピソードでも、
頼る人がいなくなってしまったヒイナが(自分で選んだことでもあるのですが・・・)
生きる力をふたたび得ることの象徴として、
このパン作りのシーンを入れてみました。




この修道院長の顔を
「どこかで見たなー」と思った方、いませんか?

実はですね、
彼の顔はあの天使・アッシュエルの顔なんですよ!
ひな形?が同じなの。


修道士の顔12.6.3 黒天使劇画タッチ6.30001





顔や髪型が同じで、別キャラクターなのか
それともアッシュエルが人間を演じているのか・・・

そのあたりまでは、細かくは決めていませんけどね。




しかし同一人物(?)となると、
アッシュエルは相変わらず不運に見舞われっぱなしだな・・・


私としては特に好きな登場人物で
実はスピンオフを一番描きたいのがこの人です(笑)。

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