ペシミズムの救済(其の二)

共感覚12.9.280001
共感覚シリーズの一点。これまたサバスの曲なり。


さて、前回の続きです。


ここからが本題ですが――

強制収容所の記録をどう受け取るか、に限らず
どうも、人には絶望することへの恐怖があるみたい。



その、ほかならない絶望への恐怖のせいで
“絶望”の方から目をそらして、
ほんのわずかな(時にはありもしない)“希望”だけ見ようとする。



以前、アメリカについて
「ポジティブ病」と呼んでいる言葉を
聴いたことがあります。

アメリカンドリームの神話が生きている、かの国では
何があっても常に笑顔でいなければならず
辛いと感じる心にふたをしていないと生きていけない、とのこと。

そうして目先の解決法にとびついて
問題を先送りしてしまうため
かえって問題が大きくなることが多いんだそうですよ。


でもこれ、アメリカに限ったことではないのでは。


私は子供のころから
報道写真や記録写真に長時間さらされてきて、
毎日流れるニュースを見聞きしているうちに
それが自身の体験と似ていることを見つけました。

自分が“集団”の中で見てきたことと
ニュースに出てくるジェノサイドが
構造面でとても似ていると気付いたのです。


かくして
人間というものが(当然だけど自分も含めて)
いかに救い難い存在であるか、を
子供の頃から感じていたのですが――


どうにも辛かったのは
そんな中で「希望を持て」と強要されることでした。



これ、どう考えたって無茶な注文。

だってさ、
報道番組とかでもよくあるでしょ。

紛争地の映像とか、廃墟になった町とか
そういうものをさんざん見せておいて
「こんな中にもかすかな希望は必ずある」なんて・・・

どうやったら見つかるのさ?
どこに希望があるのさ??


そう、問いたくなることがけっこうあるんです。


たしかに廃墟の町で赤ん坊が生まれれば
よかった!と思いますよ。
でも、その陰で別の赤ん坊が何十人も亡くなっていたら、
そして生まれた子の今後の人生を考えたら、
私はその事実の方におしつぶされそうになる。



希望がない、ということを言うのは
ずいぶんと勇気のいることです。
だって、それは「見ないこと」にするのが
暗黙の決まりになっているから。

例の“ポジティブ病”のアメリカでも
そんなことを口に出せば、
臆病とかひねくれ者とか言われるのがおちなんだそうです。


だから何があっても、「希望がある」「希望がある」と
口では言わなければならない。呪文のように。
私もそうしていました。



でもね、いつしか
それに疲れてしまったんです。



実体をもたない、蜃気楼みたいな「明るい言葉」なんて
もう欲しくなかった。

これはアートや音楽でもそう。


20代前半の私にとって、
暗黒を暗黒として、悲惨を悲惨としてはっきり見据えてくれる存在
どうしても欲しかった。


そういう状態が長く続いていたときに
サバスの世界に文字通り“ぶつかってしまった”のです。



その時に感じたのは強烈な“解放感”でした。


そこで展開される世界は、
文字どおり私の魂を震撼させました。
自分が求めていたものは、まさにここにある!という衝撃でした。

およそいかなる「表面的ななぐさめ」もない、
仮借のないペシミズムの世界がそこにありました。


「今日のために生きよ 明日は決して来ないから(“ダイ・ヤング”)」

「お前は暗黒の聖書を読んでいるのだ(“バイブル・ブラック”)」


これらの言葉は、ほとんど啓示のように作用しました。
「カタルシス(浄化)」という概念を与えられたのは
そのときだったかもしれません。



ペシミズムによる救済が確かにある、ということを
サバスの曲は証明してくれたのです。



彼らの曲のテーマが
私自身の抱えてきた恐怖や不安とかなりの割合でリンクしていた
、というのも
私が一方的にのめりこんでしまった理由の一つですが――

悲惨そのものとしか言い得ない状況を前に
目をそらさず、悲惨のすみずみまで見つめる。
そしてついに自分が目の前の悲惨に対して、なんの力も持っていないことを認めるとき

その瞬間にはじめて、白い光のような解放がおとずれることを知りました。


絶望に心を開くことで、逆に生きる力を得る。


私は死を考えたことが何回かありますが
そんなとき、「死にたくなるのも当然だ」と誰かが言ってくれたら
それだけで逆に生きていけると思ったものです。

そんなことにも似た解放が、彼らの音楽に出会った時に起こったのです。



ここで言うペシミズムとは、
暗黒をもてあそび、暗黒を喜ぶことではありません。
また、救いはないんだから今を楽しく生きようよ、という
刹那的な快楽主義でもありません。

目の前にある人間の姿をあくまで冷静な目で見つめ
なおかつ、暗黒の中に安住することを鋭く拒む姿勢のことです。


前の二者は、考えてみれば中途半端なペシミズムにすぎません。
自分の周りはまともであることを期待しているんですから。


中途半端なペシミズムは人の心を荒廃させるだけですが
貫かれたペシミズムは救済をもたらします。



それは希望があってメデタシメデタシというお気楽なものではなく、
むしろ懺悔を終えた後のような
痛みを伴った心の静けさです。
もしくは、人間たちの穢土を去って
死後の世界に足を踏み入れたような静けさです。

しかし、本当の希望とはまさに、
その静けさから生れるものなのだと思います。



今は、こういう比喩にたよった言葉でしか
彼らとの出会いを語れないのが残念。


願わくば私の制作も
サバスが到達したペシミズムの端っこくらいには
到達できるといいのですが。

コメント

No title

ペシミズムは気分や思想ではなく、「正確な世界認識」だと思います。あまりの真実なので、みんな怖くて、様々な手段で否定し続けます。そんな余計な労力でみんな疲れてしまう。冷静で正しい認識は、しずけさのみなもと。

Re: No title

もりもりさん、コメントをありがとうございます。
実際、冷静に見ているとペシミストにならざるを得ないようなことが多すぎますよね!
拒否するよりも受け止めた方が克服への道だと思うのですが、
そうは考えさせてくれない空気はいたるところに満ちています。

しかし、私にそのきっかけを与えてくれたのが
ブラック・サバスだというのが何とも・・・(笑)
サバスが、一部で今でも「タブー」なのは、もしかしたら「見たくないものを見せてくる」からなのかしら?なんて思ったりします。彼らを憎むことで、自らの“善”を保証するような心理があるのでしょうか。

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