『われ、深き淵へ』制作秘話1・制作のきっかけ

どうも、ニキです。
今回は作者自らまかり出てきました。

ただいま本ブログで連載中の劇画について、
作者みずから解説です!!!

劇画作品はこちら

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共感覚作品。これをUPしたわけはのちほど!


なんだろ、自分自身へのインタビューに答えるような気持ちですね。
“自分をもう一人の自分が見る”のは
私の得意ですので(笑)。


第一回目は「制作のきっかけ」です。


直接のきっかけは、
山崎洋子さんがお書きになったカンボジア旅行記です。


ポル・ポト政権時代に刑務所だった建物が
現在では博物館になっていて、
そこを見学した時の記事が洋子さんのブログにありました。
かの有名なトゥール・スレン監獄博物館です。


その、洋子さんの記事がもとになって
「牢獄の天使」のイメージが頭に浮かんだのです。
それはこの作品を描く大きなきっかけとなりました。

(くわしいことは以前にもこのブログで書きました。
なので、「もっと読みたい!」という方はこちらの記事を参照のこと。)


しかし、
同時に私自身の見聞きしてきたことも強く反映しています。

作品に出てくるような思想警察や強制収容所は
それこそ世界のいたるところにあったわけ。
私はその手の知識や情報も、
小さいころからけっこう得てきたんですよね。


そういう救いのない状況で
「聖なるもの」はいかにして存在しうるか。

むごい話をいっぱい聞くと、どうしてもこの問題が出てくるんです。
まがりなりにもキリスト教教育を受けて育った身として。


で、私なりに、なかば無理やりに(笑)答えを出してみたのが
この作品です。

これは作品全体のテーマでもあるのですが
そこまで書いているとまた長くなりそうだなぁ・・・。
テーマについては、またあらためて書くことにします。



ただ、カンボジアの話が直接のきっかけになっていると言っても、
この話の舞台はカンボジアではありません。
そして、カンボジアではないように
ほかのどんな国でもありません。


さっきもちょっと書いたように

作品に出てくるような――
いや、もっとひどい実例は
世界のいたるところであったことです。


そういう話を聞いた体験や、
私が自分の人生の中で見てきた人間の姿を反映させ
まったくの架空の国の物語として
救済と、「聖なるもの」の存在を問いかけてみたのが、この作品です。


ペトが「なぜ捕まったか」について
「自分の方が教えてほしいくらいだ」と言っていますが
これは空想の産物ではありません。
さまざまな全体主義国家において、
捕まった人たちの多くは
自分がなぜ捕まったのか知らなかった、というんですから。


また、この作品の中にはいくつか暴力シーンが出てきます。
それについても空想はひとつもありません
古今東西、中世からナチス・ドイツ、東洋から西洋まで実際に広く行われていた、
非常にオーソドックスなものばかりです。


そういう無数の実例にかならず付随して出てくるのが
「神の不在、もしくは沈黙」の問題なのです。

これは神を信じる人たちの国家であっても同じ。
神の名のもとに、いかに人類が喜び勇んで残酷なことをしてきたか――
それは世界史が語っています。
神が絶対的な善であるなら、
そんなことを喜ぶはずはないのにね。



そうそう、カンボジア旅行記の話が出たので、ついでながら。


この劇画の制作中に、
私はブラック・サバスの曲をモチーフにした共感覚作品
複数描いていました。

そのうちの一点をフェイスブックに載せて、
「この絵が何に見えるかご意見募集します」というのをやったんですね。
最初に出した作品がそれです。


そうしたら、
思いもかけずずいぶんとたくさんの方がコメントをくださいました。
その中に山崎洋子さんもいらして、
この絵があの牢獄の光景に見えるというのです。
実際、その絵のもとになった曲は
そういうイメージを喚起する曲でした。
(同時期に証言文学を集中的に読んでいたためでもあります)

さらに別の方が、学校の風景を思い出したとの意見をくださいました。
で、後で調べてみましたら
トゥール・スレン監獄は、監獄になる前は高校の校舎だったんですね。


さて、解説編第一回はここまで。
ひきつづき、『われ、深き淵へ』をよろしくお願いいたします!!

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