『われ、深き淵へ』制作秘話2・テーマ

油彩50号13.3.160001
こちらは50号の油彩、下塗りです。
天使ネタにする予定。(本文とはこう見えて関係あります)

劇画『われ、深き淵へ』の制作秘話、
第二回目は作品のテーマについて。


本編を読むにはこちらからよろしく♪

『劇画作品』




今まで連載してきたとおり、
『われ、深き淵へ』の内容は比較的単純です。

旅芸人の男性がまったくの濡れ衣で反逆罪を着せられてしまう――
というものです。

しかし、強調しておきたいのですが、
冤罪の恐怖や一党独裁制への抗議が
この作品のテーマではありません



解説編第一回目の「制作のきっかけ」
すでにちょこっと触れました通り
“神の沈黙/不在”への、私なりの答え――
それが、この作品を通して描いてみたかったことです。


最も悪い状況で“聖なるもの”はいかに存在しうるか。
“聖なるもの”による救済はいかなる形になるか。


キリスト教教育を受けて育った私にとって、
やはり神の不在(あるいは沈黙)は避けて通れない。
重大な問題です。


私はキリスト教の学校を卒業したあと
ほぼ完全に何年もの間、ずっとキリスト教から遠ざかっていました。
しかし成人した後で
どういうわけか再び、ごく自然な形で接近しました。

それでも人間のしょうもなさ・罪深さは
たくさん見てきましたし、
この世のどんな苦難も「神の思し召し」で納得できるほど
信心深くもなれません。



聖者伝説では、
迫害された信徒を間一髪で天使が救い出してくれた――
とかいう話はたくさんあります。
しかし、実際にそういう奇跡はありえないんですね。

すくなくとも私は信じられなくなりました。



それなら、どういう形になるか。


私なりに悩んだ末に、今回の作品のような形になりました。


私が(無理やりに/苦笑)出した答えというのは
聖なるものは苦難の只中にいるはずだ、というものです。


これは一見すると突拍子もない考えのようですが
意外にも、そうではありませんでした!


エリ・ヴィーゼルの「夜」。
これは第二次大戦中の、ユダヤ民族の苦難を
当事者である作者がつづった体験記です。
その中で見つけたことですが――。

大人と一緒に小さな子供までもが処刑されるシーンで
“その時、神もまた一緒に死んでいるのだ”
という内容のことが書いてあるのです。

これはヴィーゼル個人の思いにとどまらず、
ユダヤ教の〈神〉概念そのものが
実はそういうものなのだそうです。


旧約聖書に書かれたのは超越的・絶対的な神の姿ですが
それとは大きく離れた姿がここにあります。
〈シェキナー〉といい、
これは「神の栄光のすまい」を表す言葉ですが
同時に神があらゆる人々・あらゆる空間・事象のただなかに存在している
ということも表した言葉です。

だから当然、人々が苦しみに遭っている時
神もその場にいるのです。



私が『われ、深き淵へ』のアイデアを考え付いたとき
まだエリ・ヴィーゼルは読んでいませんでした。
それだけに、
自分とよく似た考えを見出した時は心強かったなー。

「聖なるものは天国から苦難を見守っているのではなく
その苦難のただなかにいるはずだ」。
これです。



この答えはまた同時に、
「救済の形」にたいする疑問への答えでもあります。


どんな宗教にも、殉教者伝説は数え切れないほどありますが
そういう物語には共通のパターンがあります。
「聖人が殉教する時、天から火が降ってきて異教徒が何千人死んだ」
というもの。


果たして、それが本当に救済の形なんだろうか?


それが素朴な疑問でした。



信じる者は救われる、
と言う言葉が聖書にでてきて、
私もその通りだと思いますけれど、


じゃあ信じない者を殺し・罰するのが本当に救いなのか、という。


神が絶対的な正義であるなら、
信じない者を殺してそれで終わりにするわけがない。


しかしそういう考えを持たず、
しかも自分たちこそは正義の神の使者である、と
信じて疑わない人たちがいます。

いますっていうか、
歴史そのものがほとんどその人たちによって作られています(苦笑)。

これは神ではなくても、
たとえば思想や特定のリーダーへの“信仰”であっても同じ。

そういう“正義の蛮行”によっては
どんな救いももたらされないでしょう。


そしてさらに“正義の蛮行”の犠牲になったものが
自分の方こそ正義だと信じて、同じことをやってしまう。
これまたよくあるパターンです。
殉教者伝説にある「異教徒何人死亡」も心理的には似ていますね。



本作にはこれらの思いが反映されているので、
おそらく通常の奇跡譚とはかなりちがった形で
「救済」がもたらされています。


また
救済をもたらす存在によって、
迫害する者と迫害される者の心の中も照らし出される、

という形になっています。 


本当の救済は、人の心を根底から変えることでもたらされる。
そう思います。


もしかしたら必ずしも、
人間を超えた聖なるものでなくても
可能なことかもしれません。

それでも現代版奇跡譚ということで、
聖なるものの存在の必然性はしっかり盛り込んでおきました。


さて、本編はクライマックスに近づいてきました。
引き続きごひいきのほどをよろしくお願いいたします!
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