天使は時とともに

そろそろ通常モードも再開します。


夢13.5.40001


前回の記事で
岩崎博物館(山手ゲーテ座)の展示について書きました。

その7月の展示では
天使シリーズがなかなか充実しそうな予感です。



この“天使”というモチーフは
2007年5月某日夜
私の元にとつぜん、おりてきてしまったものでした。

といっても
別に天使のまぼろしを見たとかじゃありません。

あるわけないよ。
それじゃあまりに聖者伝説だよ(笑)


その日、
私はまったくの偶然で
テレビの洋楽番組を見たんです。
昔のロックバンドの映像とかがたくさんありました。

で、その中のとあるバンドの映像に
目が釘付けになってしまったのだ!

ヴォーカルの姿を見た瞬間に
何を思ったか
いきなり“長崎の天使”が頭に浮かんでしまい。



それから今に至るまで
その天使イメージは
ずっと私の中にい続けています。

居座り続けています。
天使の居候です(笑)



ロックバンドのヴォーカルが
第一の起爆剤でしたが、
ほかにもいろいろなイメージがまじりあい
いつしかオリジナルの造形ができあがりました。

人物だけで5人くらい。
ほかには四谷シモンの天使人形とか
ルドンの堕天使とか、いろいろです。



最近おもうのは、
2007年の邂逅以来
私の変化といっしょにその天使イメージも成熟してきたな、
ということ。



描きはじめた当初は
かなり感情的になって描いていた。
それで、何を表現したくて天使を描いているのか
自分で言葉にできませんでした。

なにしろ一番はじめの出会いが、
私にとってあまりにも
突然のできごとだったものだから。


今になってようやく気付いたのは
私にとってもメインテーマは
「人間の悪・罪」なんだな、ということ。


私の描く天使を
便宜上「長崎の天使」と呼びますけど、
彼のいる場所・生まれた場所は
決して長崎に限定してはいなかった。

出会ったはじめのころから。


ただ、長崎という土地は
象徴的で意味深い土地ですよね。
人間の悪や罪について考えるのに。
(これは私がそう思っています)


当初はやはり、核の恐怖がいちばん先にたっていました。
子供のころから過剰なくらい怖がっていましたから。

平和教育がトラウマ化して
日常生活が破綻しちゃうというのが
まあ、いかにも私らしい話ではあります。



それが時間を経ていくうちに
核の話のみならず
ありとあらゆる惨劇の場にあらわれるようになりました。




天使であるのに、
天使らしからぬ場所にばかりいるんです。

今年2013年に連載した
二回目の劇画『われ、深き淵へ』では
架空の独裁国家にあらわれています。


こうしてだんだんと
「人間の悪・罪」全体の犠牲になった存在へと
意味が広がっていきました。

人が人を蹂躙するとき。
「正義」が何者かによって破壊されるとき。
その犠牲者として彼があらわれます。



これは私の制作態度が
しっかり確立してきたからかもしれません。



まず、天使を描いているといっても
それは正統的なキリスト教のイメージとは違うでしょうね。
じっさい、聖書の教えをそのまま描いてはいませんし。


社会性とか同時代性とかについては
次のような捉え方をしています。

現実にショックを受けたり、
現実の出来事が制作の動機になったりすることは
日常的にありますよ。


でも、私が表現したいのは
特定の現場だけではなく
その背後にある人間の本性なんです。

核も恐怖政治も
ニュースで出てくる特定の問題も、
「人間の悪・罪」を考えるための
エピソードとしてとらえています。

だから、ほぼまちがいなく
作品には反映していますが
見えない形で反映しているのです。

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