私が生き延びた理由(わけ) 3

出ました、第三弾(笑)。

自分が死を選ばなかった理由について
つらつらとかえりみてきましたが
気付いたことがひとつ。


希望があるから生きているのでもないし、
死を選ばないから必ず希望があるのでもない、
ということ。


私は心のどこかで死ぬことを考えながら
結果的にずっと生き続けたけど、

自分が希望をもっていたから生きていたとは
とても言えないんです。





私が生きていた理由をひとつにまとめるなら
結局「先に起こることは分からない」からなんだと思う。


未来を知ることはできないから
あらゆることの可能性をそこに感じるわけです。

もしかしたら、明日いいことがあるかもしれない。
悪いことだってあるかもしれないけど。
たとえ、悪いことの可能性の方が
あきらかに多く感じられたって
それでも、そうならないかもしれないのだから。


何も期待していない時に
ふっと、次に描きたい絵が浮かんだりする。
そうすると、気持ちってうつろいやすいもので
その絵のことに意識が向くんですね。

それで絵が一枚、完成するまでの間
実質的に寿命が延びるんです。



絵にかぎらない。

何かの拍子に「死ぬこと」から
気持ちをそらす出来事が
そこらへんにちらほらあるんです。


そういう、小さなかけらみたいな出来事は
予測することができない。

だから
またいつかそういうことがあるかな、と期待せざるを得ないのです。




その可能性をすべて捨て去って死を選ぶことが
どうしてもできなかった。

いざ考えてみると、
やっぱり怖くなるんですよ。

その、
可能性をすべて切って捨ててしまう――ということ
そのものが。



それが希望なのだ、という意見もあるでしょう。


でも私はそう思えない。


結局、そういう日々によって得たのは
盛大な病気ばかりでしたから。

子供のころにため込んだ記憶は
大人になっても後始末できず
心と体の病気をいくつもかかえることになりました。

今でも病院にずっと通っているのです(神経科含む)。


また、当時のことを思い出して
「自分は希望を捨てずに頑張った」などとは
とても思えないのです。

私は最終的にあきらめることすら、できなかっただけです。
「先のことが分からない」がために。


今の日々がいつか良くなるなんて
想像もできず、
ただ、一日一日を刻んで生きていたにすぎない。


だから、
単に死ななかったというだけで
「希望がある状態だった」なんて
とても言えないのよ。



過去だけでなく、今を考えてもそう。


私はどうにか“アート”という
自分の心を浄化し、治療していく道をみつけました。

でも、見つからないケースの方が多いんじゃないか?と思うのです。


そういう状態で
ただ生物学的に生きているとしたら
本当に「希望がある」と言えるのでしょうか?

昔の私が、ただ「死んでいないだけの」状態だったみたいに。


記憶にさいなまれて、ずっとつらいつらいと思いながら
ただ生きているとしたら。

ずっと心の痛みと怨恨をかかえながら
このあと50年、60年生きていくとしたら。


それでも「希望がある」のでしょうか。
死を選ぶよりは「喜ぶべきこと」なのでしょうか。



これまた、どうしても分からないことなんです。




よく「こんなに若いのに、死ぬことなんて考えたらダメ」
なんて言葉を聞きます。

でもね、たとえ子供だって死にたいときは死にたいんですよ。

「こんなに若いのに・・」と言われたって
たとえば10代には10代なりに
「死にたいほどのつらさ」があるんです。

子供のうちに人生を知りつくしてしまう子だっていますし。


「若いのに・・・」って
だったら年寄りならいいの?と
つい、そう聞きたくなっちゃうんですよね(笑)。

テーマ : 生きること - ジャンル : 心と身体

コメント

No title

私も「結局、生きるってどういう事なのか?」と考えたりもしました。

希望が無くても生きていけるのか?に関しては、70歳とか80歳のおじいちゃん、おばあちゃんってどんな心になってるのだろう?と思うことはあります。
だって絶対にあと数年で死んでしまうワケじゃないですか。生物学的にも。
その年でいくら楽しい事あっても、でもどうせもう見える範囲の命ってなると、どういう感じになるんだろう?と。

で、いろいろネガティブな事も考えてしまうし、生きる、事自体がネガティブに感じられる事もあるんですけど、生命の本能によって「それでも死ぬのは恐い」と思えるし、刹那的な快楽を追って、なんとな~く生きてる感じです。
正直、本能のおかげです。人間が理性だけだったら自殺する人ももっと多いんでしょうね・・・

Re: No title

死を考えていると、
いつのまにか「生きること」を考えているのに気づくことがあります。

「生きること」って、基本的にDNAに組み込まれてしまっているんでしょうね~。
kotatsuさんがおっしゃるように、本能があるから生きてしまうことは大いにあると思いますよ。

私も『まだ描いていない作品がある』というだけの理由で生きていることもあります。
これもまた、本能に組み込まれた思考パターンなのかもしれません。

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