肉体は精神を語る

前回の記事で「テンションをムリに上げる」話を書きました。
そのつづき。

テンションをムリに上げ続けるのは
たしかに疲れます。
結果的に精神全般がボロボロになりかねません(笑)。


ところが、
テンションをあげないとやってられない、というのも
本当なんですよね。

ある意味、それは生きるためのエネルギーになってくれているわけですから。



生きるためのエネルギーという言葉だって
決しておおげさではないはず。


私たちの人生において
好きな音楽や、映画や、趣味や、パソコンの楽しみが
どれほど重要な役割を担っているか。

私の場合、
そういう“外からの刺激”が
そのまま自分の作品制作にも結びついていますから
二重の意味で大切です。


いみじくも哲学者のパスカルが言った
「人間は生きるために気晴らしが必要である」という言葉、
その「気晴らし」のことです。



そこで考えるに、
問題はどこでやめるか、なんでしょうね。

何ごとも引けどきが肝心、とか言いますが
これに関してもあてはまるみたい。



それで、私がごく最近になって気付いたことがあります。

精神と肉体の関連について。



前回書いた記事は
「テンションを上げるためのことが
実は精神におおきな負担を与えていた」という内容でした。

その、精神の負担が
精神にとどまっていられなくなると
おそらく身体の方に問題が出てくるんでしょう。


私が5月初めにダウンしたのはその典型例だったようです。


思い出せば、こういう体験は
いままでに何回もやってきていました。
(たとえば、人間関係に悩まされなくなったら
とたんにアトピーが改善しちゃった・・・とかね)



「精神が肉体に影響する」ことを
まあ身をもって実感してきたのですが

精神と肉体の関連については
また別のパターンもありうることに気付きました。


「精神の危機がまず、肉体においてあらわれる」ことです。



テンションが上がるための
一時的な喜びをもとめて
何時間も本屋にいりびたったり、パソコンやったり。

その引けどきを
身体が教えてくれるみたいなんですよ。


私は、費やした体力が
得られる喜びをオーバーしてくると
まず、胃のあたりが重くなったのです。


普段は感じない重さがそこに生じてくる。

正常な時の胃の感覚が
ふつうの池だったとしたら、
重さが生じたときの感覚は
暗く淀んだ沼のようなかんじです。

そして、身体の脈が異様に大きく響きます。


もしかしたら
いまはちょうど胃に問題があるので
精神の危機がまず、そのあたりに来るのかもしれません。
身体の別のところに問題があったら
そこにまず、出てくるかもしれない。


腰が痛かったらまず腰に、
頭痛をかかえていたらまず頭痛が出てくるかもしれません。




精神の危機がまず、肉体の危機としてあらわれる――
という話は
まえに本で読んだことがあります。

また(例によって)シベリア抑留から帰還した人の
言葉なんで
読んだ当初は「そういうこともあるのか」と驚くぐらいでした。



ところが、
私が体験してきたことも
無関係ではないみたいなんですね。

その系列のはしっこぐらいにはつながっているでしょう。



もちろん、
シベリアのような極限状態では
精神の危機が命の危機に直結していますから
ことに強く、そういう反応が出るのでしょう。


私はまがりなりにも
日常の中で体験していますので
決して同じではないのですが・・・



ただ今回、
もしかしたら・・・と気付くことができたので、
肉体からのサインに
もうちょっと気を配ってみようと思いました。
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コメント

No title

あ~、確かに。私も昔、体に違和感を感じた事があって、今思えば精神の危機の前兆だった気がします。

やっぱり心と体って繋がってますよね。どちらも大事にしてください~

ちなみに、ウチの死んだ祖父もシベリア抑留から帰還した人でした。
ほとんどその頃の話は聞きませんでしたが・・・やっぱり辛かったんでしょうかね・・・

Re: No title

おじい様がシベリアから帰還した方でしたか・・・
それはまた、何とも・・・話すこともできなかったのかもしれませんね。
「あそこで起きたことは人間の言葉を超えている」という証言を聞いたことがあります。

真っ先にこちらに反応してしまいましたが、身体の違和感について共感を得られてよかったです!
必ずしも精神⇒肉体という流れだけではないようですね~。

どちらも大切にします(^^)

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