美は意味よりも重し

前回・前々回と
私が愛する男性像をご紹介してまいりました。
(嗚呼恥ずかしや・・・)

それで気付いたのが
「好きなイメージが見つかるのに
 “意味”は二次的な要因にすぎない」

ということ。

これだけだとよくわかりませんね(笑)。



たとえばですよ、
西洋美術編の第一発目にごしょうかいした
“アヴィニョンのピエタ”の聖ヨハネ。

聖ヨハネ6.8.0001
(念のために書いておきますと、二番目に出てきた洗礼者ヨハネとは別人。
 「福音書記者聖ヨハネ」とも呼ばれます)


ピエタというテーマは
それこそ山のように描かれているし、
聖ヨハネを表した絵だって数え切れないくらいあります。

単独で描かれた聖ヨハネも、
キリストの生涯を描いた絵の登場人物として描かれた
聖ヨハネも。


にもかかわらず、なぜ
“アヴィニョンのピエタ”に出てきた聖ヨハネなのか。


これはカルトンという15世紀の画家によって
“アヴィニョン”に描かれた姿が、私の感性にひびいたからです。

こう書くと「当たり前じゃん」としか思えませんが、
逆に考えてみると次のようなことが見えてきます。


ピエタというテーマ、
あるいは聖ヨハネというテーマだから好きになったのではない――と。





これ、“原爆の図”の青年像だったら
もっとはっきりしてきます。
(最初っからこれを例にあげれば良かったかな/笑)

原爆の図6.90001

「このテーマだったから」との理由で、
彼を美しいと感じたのではないのです。



だってそうでしょ。

“原爆の図”には
総勢900人ほどの人物が描かれているそうですよ。
数えたことがないので伝聞ですが。

その中でなぜ、なにゆえに、彼一人が
私の心に強く残ったのか。


それは、この青年像の姿そのもの、
顔立ちや手足の造形・その描法などに
私が「美しい」と感じるものがあったからです。

決して、「反戦絵画の名作だから」という理由ではありません。

もし、その理由で好きになるなら
別の誰かでもいいわけですからね。




作品を見るとき、
もちろんテーマはとても重要なものです。
まして、そのテーマを表現することが
アーティストの主な目的である場合はなおさらです。

でも、まず最初に
見る人を惹きつけるのは
やっぱりビジュアル・イメージではないでしょうか。


「このテーマで描いているから」という理由だけで
素晴らしいと思えたら、そら楽でいいですわ(笑)。


だからこそ、アーティストは表現の形を
いろいろと探し求めるのでしょう。




・・・なんて、
こんなことを書いて自分を追い詰めてみる(笑)。


私もまた、表現の形でなやんでいるアーティストです。
毎回なやむ。

テーマのことを言ったら
私の扱っているのはかなり重いですから。
人間の悪の面を見つめることが多いんです。


それで私が鉄則にしているのが

「パッと見て、まず最初に不快感をもよおす絵は描かない」
「どんな暗い内容でも、人物の顔だけはきれいに描く」

このふたつ。



でもねぇ。
この鉄則が守れているかどうかは
結局、作者である私自身の感性で判断するしかないんですよね~。

他の人が見てどうなっているのかは
分からなかったりするのです。


ただ、「作品の一番最初のファンは作者自身だ」とも思っています。
描いた人物像が
自分にとって好ましいものであったら、
その作品は成功だということ。

この判断は、ときに錯誤でもあるでしょう。

でも、作者自身が作品のファンでなくて、誰がファンになるの?
そう信じているから頑張れるのです。
「これだ!この顔だ!」というイメージができあがる瞬間まで。

コメント

No title

「理由」や「意味」よりも、「感性」とか、「なんかよくわかんないけど好き」なんて気持ちの方が、結局人間には強く影響すると思ってます。

なので、ぜひニキさんの感性に従った、「これだ!この顔だ!」っていう最高のイケメンを私もぜひ見てみたいです(笑)

Re: No title

すでに作品中に毎回出ております☆
自分で見て「これだ!」という顔ができあがってはじめて、完成作として公開できるのです。
HPやブログにのせた油彩・ブログで連載した劇画・そのほかで、じっくりご確認ください(笑)

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