異世界は如何にして

最近、いろいろな方から質問をいただくことがあります。
(ありがたいですね~、関心を持ってくれる人がいるの)

私が持っている空想世界について
どんなふうに浮かぶの?とか
いつ浮かぶの?とか。


それについて今回はまとめてみようと思います。
ではさっそくどうぞ↓



●頭の中に映画のスクリーンがある


私の頭の中には、異世界の見える窓が
ちょうど映画のスクリーンのように存在しています。

そして、その映画館はたいてい24時間開いています。

頭の一部分は別の世界に開いているのに
他の部分では日常生活もこなさないといけないので
ま、かなり疲れます(笑)。


見える画像/映像が邪魔になることもあります。
学生時代はとくに困りました。
授業時間もおかまいなしなので。

そういうときは意識的に「閉じる」こともあります。
(ずっとつきあっていて、ようやくできるようになりました)



映像/画像ははっきりと細部まで見えるときと
ぼんやりしたイメージのときと、両方あります。


また、ストーリーが浮かぶ時は
長い物語が終わりまで一瞬で見えてしまうこともあれば
ハイライトシーンだけがとても鮮明に見えることもあります。

長いストーリーが見えるのに
必ずしも長い時間を必要とはしないんです。
これは実物の映画とちがうところですね。

ただ、ストーリーの始めから終りまで
すべて見えるわけではないので
つなぎのエピソードが浮かんでくるのに時間がかかることはあります。



●「見えるか見えないか」が最大のカギ


上に書いたようなイメージは
どちらかというと「向こう側からやってくる」感じで浮かびます。

じっくり考えて、時間を使って
すこしずつ形になって見えてくるというよりは
ある瞬間に見えるかどうかが最大のカギなんです。

見えた瞬間は非常に鮮明ですね。
たとえば油彩作品にしても
頭に浮かんだものをほぼそのまま再現しているんですよ。


ただ、いくら見えていると言っても
再現するのは至難の業なので
日々、感性と技術をみがかないといけませんが。




私が制作するとき
テーマが先にあって描くことは少ないです。

意識的にテーマを設定して
それにふさわしい画面を模索する――というのは
思い出すと、ほとんどなかった気がします。


ただ、日常的に
作品のテーマにつながりそうなことは考えていますよ。
人間について考えるのが好きというか、くせなので(笑)。
私の作品、ことに劇画が
人間観察の色を濃厚にただよわせているのはそのため。

そうやって考えている中で
ある特定のテーマがパッと際立ってくる瞬間があります。

それはなぜか、文章や言葉の形ではなく
最初に書いた「映画のスクリーンに映る」かたちでおとずれます。
もう、いきなりそこにいっちゃうんです。



●現実のものは決して出てこない


私の世界は、現実の“こちらがわ”に
強く影響を受けています。
影響と言うより、“もうひとつの現実”と言った方がいいくらい。

でも、一方で
私はあくまで「架空の世界」にこだわっています。


現実のどこかに似ていても、現実のどこかそのものではありません。
人物はもちろんのこと、舞台もそうです。


なぜかって、イメージの制約をたち切って
ひたすら自由に想像&創造したいからです。


現実のどこかを舞台にするとしますね。
そうすると、「現実にそこではどうか」が問題になってきます。
そういう細かい考証は大変ですし
現実が足かせになって
「見えた」イメージの変更を余儀なくされる、
なんてこともあるでしょう。

私はそれよりも、自分が表現したいものに従います。
「見えた」ものに忠実に描かないと、すごい違和感を感じるから。


また、私の劇画は一種の哲学小説のようなところがあって。
ある命題について考えるには
具体的な時と場所を白紙にしなければならないこともあるんです。



かくして、国籍不明・時代不明の
古今東西ごちゃまぜファンタジーが生まれましたとさ・・・


自分で見ても思いますけど
あるところは中東風、あるところはヨーロッパ風、
あるところは日本風、とかふつーにありますから(笑)。



今回は空想世界の「見え方」について
書いてみました。
私にとってはふつうのことですが
ふつうではないこともあるかもしれませんね。たぶんあるね(笑)

アスペルガーの人は、
映像や画像に対する感受性がすごく強いケースが多い
――と聞いたので
もしかしたらその特質が産んだものかもしれない。


そして私の方は、
ほかのアーティストのみなさんが
どういう形で作品を生み出しているのか、けっこう興味津々なのです。
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