卒業しても生きていた話

ニキの部屋13.9.0001


9月10日から自殺予防週間だったようで。
(この日から始まるってことだったのかな)

いのちの電話のポスターが、
私の住んでいる街にも貼ってありました。

このブログでしばしば書いてきましたが
かくいう私もその危険にさらされていた時期が長いです。


「さらされていた」とは言っても
自分でやるわけだから、
一般的な意味での「危険にさらされる」とは
ちょっとニュアンスが違うんだけど(笑)

まあそうなった状況は
間違っても私自身が望んだわけじゃないので。


まず幼少期。
小中学校の9年間はほぼ、その考えを持っていましたね。
強くなったり弱くなったりはしますよ。
どんな状況でも
時には人の優しさに触れることもありましたから。

ただ日常的に「自分で死ぬこと」という想念が頭にありました。

いいことがあってもそれは同じ。
「死ぬのをしばらく待とうかな」となってしまいます。

「私が誰かのために死んだら、
 少しは私のことを好きになってくれるのか」と思ったりもしました。

聖書の時間に
『人が友のために死ぬ、それほど大きな愛はない』
という言葉を教わっていましたから。

もっとも、
結局そういうチャンスは一度もめぐってこなかったわけです。

たとえチャンスが巡ってきたとしても
自分でそれを確認できないのが難点でしたから
いざとなれば決行はしなかったかもしれません。



あとは成人してから。

成人してからの自殺企図は
幼少期とはちょっとタイプが違っていて
私自身の内にかかえた問題が大きかったです。

ある一曲の歌がトラウマになってしまったんですね。

子供のころの体験もトラウマなら
大人になってもまたトラウマで。
まことに私の感性は
痛みに関して飽きることを知らないんですねぇ。


それもまた、死を目前にした人の歌でした。
もともとその曲のバンドは
そういう重い内容の曲が多かったのです。

聴いて一週間ぐらいはショックが抜けなくて
周りの光景がみな、霧がかかったように見えました。
くわしいことは省きますが
“24時間後まで自分が生きているかどうか、
 まったく予測できない”
状態だったのは本当です。

それがすくなくとも5カ月、
長く見積もって3年続きました。


しかし、それだけショックだったというのは
曲のせいではなく
受け取る私の方の感性に要因があったのでしょう。
(普通のファンは平気で聴いているのだから)

もともとの感性か、
幼少期からのトラウマをえぐってしまったのか、
いずれにしても。



ところが私は
そのバンドのボーカルが大好きでもあったから
前にも後ろにも行けなくなってしまった。

私にとって歌というのは
「ボーカルが歌の主人公になりきって歌っている」
ものではなく
「歌の主人公がボーカル自身」
になってしまうのです。

だからライブDVDで「曲の主人公が死ぬ歌」があったら
その人は数時間のうちに何度も死んでよみがえることになります。


もちろん、ほかにも理由はありましたよ。
“最初に死を考えていた頃”の記憶や
その経験の“意味のなさ”に暗澹としていたこと。


そういうさまざまな要因が重なっていて、
今思い出しても
なにかの拍子に向こうへ行ってしまう可能性は高かったわけです。


ところが私は死ななかった。
だから今でも生きています。
なぜ生きていたかって、
それは今でも分からないのです。

ただ、ひとつだけ母と約束していたことがありました。
おそらく、この約束が占めた割合はけっこう高いはず。


次回の記事でその約束について書きます。

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