殉教MANIAC(マニアック)!!!

赤のバラ143170001
殉教ときたら赤い花にしなくちゃね。

「道徳的マゾヒズム」という言葉があります。

あらゆる殉教の根源にある衝動といえるものです。

いえ、宗教にかぎりません。
思想でも、政治でもおんなじ。

もし、教義や主義主張のたぐいが
人を殉教に至らしめる「理性」面での機動因を
代表しているなら、
この「道徳的マゾヒズム」は、
「感情・情動」面での機動因といえましょう。


※機動因・・・アリストテレス哲学に出てくる言葉。
       ここでは“そう仕向けるもの”。


わが敬愛する澁澤龍彦氏の書物
『エロティシズム』では
わざわざ一章を割いて紹介されております。


マゾヒズムと言うのは
苦痛を受けることが催淫効果になるという
性的な傾向の一種です。




で、もっともふつうなのが
「性愛的マゾヒズム」であり
これは特定の相手から苦痛を受けることで
快楽に向かいます。


これはまあ分かりやすい。

好きな相手から喜びを受け取るだけでなく
ときにはいじめられたくもなる、という現象は
多く見られるからです。
(だから、パートナーとのSMという楽しみがあります)




これに対して「道徳的マゾヒズム」
特定の相手からにとどまりません。

大げさに言えば、自分を取り巻くものすべてから
苦痛を受けることを望む。
そういう傾向だそうです。

人でなく、社会・政治・宗教・思想・etc、
それこそなんでもあり。
迫害されたくてしょうがないという心理です。

フロイトによると「自己処罰の欲求」だそうです。




澁澤先生(勝手に先生呼ばわりしてますが)はこの心理を
じつに的確に書いています。


「このような種類のマゾヒストは、
自分がひどい目に遭わされるような状況を熱心に求める。
(・・中略・・)
たとえば、宗教上の禁欲主義者や殉教者は、
好んで自分の肉体を粗末に扱ったり、
世間の迫害を受けるような行動に走ったりするが、
こうした種類の苦悩愛好者も、道徳的マゾヒストの範囲に入るものと見なされる。」

(『エロティシズム』より引用)



実際、多くの宗教の歴史には
殉教者伝説が欠かせないものです。


私も幼少期にキリスト教教育を受けましたが、
こういう話をすごくよく聞くんですね。

信仰を守って迫害された人たちの話。


で、それがとても印象深く残っている。



私がいまだにキリスト教的世界観を
持ち続けているというのは、
おそらくこの殉教者伝説のインパクトと
無縁ではないでしょう。


もちろんその頃は「道徳的なんちゃら」なんて
知りません。

ただ、何かのために大変な目に遭ってもいいという人が
この世にいたんだなぁという感慨が
深く心に残ったのです。


子供の心にもしっかり残るということは
逆にその手の話が
どれほど普遍性をもっているか、ということです。


私は日本生まれ日本育ちなので
まあちょっと特殊な環境だったといえるでしょうが、
キリスト教圏ではふつうに教えているでしょう。

こういう殉教者の話。



ほかの宗教の教育については知りませんが、
おそらくそれぞれの「殉教者」についての話は
語り継がれているはずです。




みなさん、かのメル・ギブソン監督を思い出して下さいな。

痛そうなシーンを表現することでは
右に出る者はいない
彼が
熱心な(というか狂熱的な)カトリック信者だというのは
決して、決してただの偶然ではないのです。


映画「パッション」より。Facebookにページがあります
passion14317.jpg

テーマ : 科学・医療・心理 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

No title

あ、なるほど~、「道徳的マゾヒズム」そういう人が居るんだ~

と、考えると、今まで分からなかった不可解な事件とかが、少し、理解出来たような気がします。

そういう感情というか、脳の仕組みがあるから殉教とか起こるんですね。

もっともふつうな、「性愛的マゾヒズム」の方は大変良く理解出来るんですけど(笑)

Re: No title

これを読んだ時は私も「なるほどな~」でした。
澁澤龍彦によるエロスの解説を参考にすると、人間の心理や行動原理などが
じつによく分かるんです。
異なる宗教・思想であっても、身をささげる原理は実は同じだった!なんて面白いですよね。

「性愛的マゾヒズム」は
ま、日常的なものということで(笑)

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