殉教MANIAC(マニアック)!!! 其の二

赤いバラと実 144200001

調子に乗ってパート2を書いてしまいました。
パート1はこちら


この記事は、あらゆる殉教・殉死の
根本的な心理である
「道徳的マゾヒズム」についてのエッセイでございます。

根本的というのがもし不謹慎であれば
情動的・感情的な面での動機といいましょう。




「道徳的マゾヒズム」とは
精神的マゾヒズムともいい(これは前回書き漏らしました)、
信条であれ、宗教であれ
思想であれ
あるいは自らの宿命のためであれ――

ともかく何らかの形で苦難に遭うことを求めたり
我が身を犠牲にしたがったりする心理
のことです。



前回はこの「道徳的マゾヒズム」について
敬愛する澁澤龍彦先生の名著
『エロティシズム』を参考に書いてまいりました。

例によって勝手に先生にしてますが。


道徳的マゾヒズムがいかに普遍的かを理解するには、
それとおぼしき現象――殉死――が
いかに多くのところで起こってきたかが
重要となります。


いや、見てみると出てくる出てくる。


殉教と言えば
真っ先に思い浮かぶつのがキリスト教です。
ことに古代ローマの禁教時代。
伝説的な聖人たちがいっぱいいます。


澁澤先生はほかの例として
「日本のキリシタンの殉教、ベトナムの僧の焼身自殺」
をあげていますが、
ほかにもまだあります。

北海道のアイヌの民話にも、
神に裸を見られることを恥じた娘が
服を着たまま海を泳いで渡り
結局おぼれ死んだという話があります。

一神教を批判する意見に
「人間を神の犠牲にする宗教だ」
というのがありますが――

しかしどうしてどうして、「人間を神の犠牲にする」のは
一神教の専売特許ではないようです。



そんな具合で多くの宗教・思想に
広く見られる殉教/殉死の例ですが、

「古き良き時代の、共産党員の殉死」
まちがいなくここに入るはずです。



なぜここで共産党を出したかと言うと、
「殉教」の最も典型的な例である
キリスト教とは、まるで違うものに見えるから。


かたや一神教、かたや「宗教は阿片なり」の教えです。


しかし、そんな両者でありながらも
殉教のかたちはあまりにもよく似ているのです。



キリスト教の伝説的な殉教者と
20世紀の無神論者とが
じつは根本のところではとてもよく似ている――ということ。

このことは「道徳的マゾヒズム」の普遍性を
よくあらわしていると言えるでしょう。


俗に「両極端は一致する」と申しますが
これはまさに、その典型例のようですね。



しかもですよ、
迫害にはきまったパターンがあり
殉教もしくは殉死がおこる際には
たいていこのパターンが踏襲されております。


次回はこの「決まったパターン」について書いてみるつもりです。

作劇法をやや古い言葉で
ドラマツルギーといいますが、
どうやら現実の世界でもドラマツルギーは存在しているようです。

テーマ : 科学・医療・心理
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

探究者ニキ

Author:探究者ニキ
安藤ニキ
神奈川県横浜市生まれ、
慶応義塾大学文学部哲学科卒業の画家。
油彩・版画・ドローイングなど表現方法はさまざま。たまーに漫画も描きます。
作品のお問い合わせはnikiあっとando-kobo.jpへお願いいたします。

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