運命のキリスト教?

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先日おわった「リン版画工房展」で
クリスチャンの方と知り合いになれました。


私の作品を見て、ぴんと来るものを感じられたそうです。
もしかしたらこの人も信仰を持っているのかな?と。


こういうパターン、実はいままで何度もありました。
私の絵を見ると
作者はクリスチャンではないかと思う人が多いんです。


本ブログでもたびたび明かしてきましたが
私は実際、子供のころにキリスト教の学校に通いました。
小さいうちにそういう体験をすると
やっぱり、のちのちまで影響出るんですね。

ただ私の場合、
それがいささか葛藤&曲折を経た形になってます。





キリスト教の学校にいた時のことは
決して喜ばしいことばかりではありませんでした。
むしろ幼い子供にとっては
重すぎる問題を背負わされた形になりました。


俗に言ういじめですよ。
今でもだいぶ騒がれていますが
当時から何も変わったことはありません。

しかも、いじめていた子たちは信者の子。

その子たちの発した言葉を聴いていると
神様に祈った同じ口からのものとは到底信じられませんでした。


その、被害者の私は親が信者でなかったし
私自身も洗礼は受けていませんでした。



これが逆だったらまだいいんですよ。
私一人が信者で、
信仰を持たない子供たちにいじめられるというんなら。

信仰ゆえに迫害されるなら、
たとえどんな目に遭っても
どこかで胸を張れるじゃないですか。

「自分は悪くないんだ!」って。


でも私は自分が「正式な」キリスト教徒でないがゆえに
いつも、本当は自分が悪いのではないかと悩んでいた。

そしておどろくべきことに、
私は自分の境遇もすべて「神様の思し召し」として
がまんしていたのです。



子供のころに体験すると
信じやすいとは言いますが・・・
これ、どうなんでしょう?

私でなくてもこうなんでしょうか。



はっきりと理不尽を自覚したのは学校を卒業してから。

おかげで何年間も
キリスト教関連のものには近寄れませんでした。




私がふたたびキリスト教に接近したのは――
いつだったかな。2007年~2010年にかけてだんだんと、
だったかも。


接近したというか、
自分の中にある「それ」に気付いたんです。

いつのまにか天使を描くようになっていたし、
まがりなりにも反社会的な行動に走らないで済んだのも
おそらく「神」という概念があったからではないかと。


2010年の初個展では
見た人がたいてい
「聖書読んでる?」「洗礼受けてる?」とか訊いてきたしね(笑)



そして子供のころの体験について。

私はそれのおかげで鬱病にもなったし
成人してからも夢で見たりしましたが、

もし、その子たちが
自分のしたことを覚えていて
深く後悔しているのだったら、許せると思っていました。
今でもそう思っています。


こういう考え方がどのくらい一般的なのかは
わかりません。



ただ私は子供のころに
学校で習っていました。
神は人の行動のみならず、
どんな心でいるかを重視している
という考え方。

そして悔恨と許しの大切さです。



私だって人間ですから
自分のしたことを忘れ去ってノホホンとしている相手だったら
フザケンナと思いますよ。

でもそうでないのなら。




まあこんな調子で
子供のうちに素直な信仰を失った私ですが、
大人になってふたたび戻ってきつつあるのです。

テーマ : 聖書・キリスト教 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

こんにちは(´▽`*)

私もニキさんの作品を拝見して
すぐに信仰のある方かキリスト教の世界観に何かを
感じて表現されている方なんだろうな~と
興味深く拝見しました。
私は幼稚園がきっかけでプロテスタントでしたが
13歳まで教会にいっていましたが、そのころから
病気で入退院を繰り返していたので
そのまま進展はなく教会が楽しかったっていう
思い出だけです(笑)
今は元気です。神様も仏像も描くし天使も描く、
何でもありの垣根の無い人になりました(笑)

Re: こんにちは(´▽`*)

茶流さん
そうでしたか~茶流さんもキリスト教の世界にいらしたことがあるんですね。
神様も仏像も天使も、何でもありでいいんだと思います。
茶流さんのベラドンナ・アート出展作は龍でしたよね。
思い切り仏教の世界です(^^)

それにしても、世界観って自然と現れるものなのですね~。
モチーフが天使ということもありますが、キリスト教的世界が今回も出ていたようです。

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