人類は滅亡する

・・・ってな言葉をよく目にします。

ここ最近は妙チキリンな天気だったり
核問題があきもせず持ち上がったり。
そんなことがあるたびに出てきます。


「このままで行ったら人間の存在そのものが危ない」とか。
平和について語る機会があると
たいてい誰かがこういうことを言ったり、書いたりしています。

小学生の作文にも。


真面目に書いているんだろうなぁとは思います。


でも一歩突っ込んでみて
疑問じゃありません?


これ
本当に、リアルに、そう感じられることなのでしょうか。





「人類が滅亡する」ことを
リアリティを持って恐れることができる人。

果たしているんでしょうか。

そんな恐ろしい能力と感受性を持っている人が。




私たちが「死」を目撃する機会というのは
そうしょっちゅうあるものじゃない。

肉親が数人。
親戚全般にまでのばして、せいぜい10数人くらいでしょうか。

あとは知り合いが何十人。

膨大な数の知り合いを持っている人もいますが、
その中で
「喪失」がリアルな体験となり得るほどの知り合いとなれば、
数は限られてくるはず。



人が「死」や「喪失」を
本当に絶対に避けたいものとして
実感できる範囲は、
実はすごくせまいはずなんです。

だから「人類は滅亡する」というのは
そもそも実感できる危機ではない。


(その「滅亡していく人類」の中に、
 自分や自分の大切な人がいる光景を
 まざまざと描いているのであれば
 その人は本物だと思いますけどね。)




何だか私、こういう言葉に出会うたびに
妙に空疎な気分になってしまうんですよ。


自分や、自分の大切な誰かが
たとえば核戦争で死ぬかもしれない。

そう考えると身に迫ってくる恐怖が
いきなりうすーくなってしまうんです。



個人レベルでなら犠牲者は実感できた。

それが、いきなり「人類」という
把握もできなければ想像もできない
やたらに膨大なレベルに押し上げられてしまうんですから。



たとえ大変な危機(たとえば空襲とか)の体験者だとしたって、
自分の体験を
「人類すべて」におしひろげて想像することは
基本的に不可能なんじゃないかと思う。



逆に。

もしそういう人が「人類すべての死」を
リアルに想像できるのであれば、
おそらく恐怖のために日常が成り立たなくなる


これは人間が生きるために
精神構造として、そうなのだと思います。



たぶんね、「人類が滅亡する」という言葉は
自分が感じたことを表現できる言葉がなくて
仕方なしに選ばれたものじゃないでしょうか。


自然破壊のこととかを聞いて
怖かったんだけど、
どうも自分の感じたことが言葉にならないなー。
じゃあ人類の危機と言っておくか。みたいな。


こういうときはむしろ
「自分はそれで死にたくない」と言うべきなんですね。
そのほうがよほどリアルに響く。

それとも、自分がそこにいることは
アウトオブ想像なんでしょうか。



私たちの想像力は、
自分が日常の中で生きている範囲でしかない。

だからこそ身近な「人類」について
想像するしかないし、そうすべきなんでしょう。


ヘタに「人類すべて」なんかに拡散するよりもね。

テーマ : 生きること - ジャンル : 心と身体

コメント

No title

もうお腹いっぱいにこの言葉よく見ますよね。(笑)
自分は注目を集めるために「大げさ」に言ってるのかな・・・と。
本の売り上げをあげる!とかみたいな商売も絡んで。

いろいろありすぎて、本当に心配しないといけない事なのか、テキトーな事いってるのか、わかんないですよね。

Re: No title

ありますねえ。
都市伝説特集みたいなのはともかく、
まじめに平和を語るのがテーマの時とかにもよく出てきます。
大事なことなんでしょうけど、もうちょっと具体的な危機を語ってくれよと(笑)。
身近なところで何が起こるか。そのほうがよっぽどリアルですし、
真面目に聞く人もふえるんじゃないかと思うんですけどね。

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)