救われた母子の話

11614肖像 ベールの女
【“肖像”シリーズより  2011年 油彩 F4号】

タイトルの「救われた母子」とは
母と私のこと。

アスペルガーと診断されたとき
どんな気持ちでしたか?

よく聞かれるのですが、

母も私もこう答えます。
「すごい解放感だった!」と。

これは強がりでも嘘でもなく、
私たちの真実の気持ち。

障害者だと診断されて、
可能性がなくなったとか
受け入れられないとか、
そういうことは全くありませんでした。

だって私は、
生まれて23年間ずっと
「自分とは何者なんだ???」という謎に
向き合わされていたから。

アスペルガーと診断されたのは、
自分を説明するキーワードを
23年たってようやく見つけたという、
ほとんど奇跡の瞬間
でした。

母も同じ気持ちだったそうです。
(これ、本人確認済み)

それまで、発達障害の子供を持つ
多くのお母さんたちと同じことを
私の母も悩んでいましたから。


「みんな私のせいだ、私の教育が悪いからだ」
と。

私が自分だけの世界にひたりきって
ほかの子たちとコミュニケーションがとれないこと、
話がいつもズレること、
感覚が異常に鋭いせいで
おびえて泣いてばかりいること。

その他、数え切れないほどあった
私という「ヘンな子」の問題。
それらはすべて
一緒にいる時間が長い、というだけの理由で
母ひとりの責任にされてきました。

「なぜできない??」
「なぜこうなんだ??」
母子そろって毎日がそればっかり、もう無限に続く謎の日々。

まあとにかく、
自己嫌悪と自責の念のメドレーでした。
母はそれまでずっと、「自分の教育が悪いのか・・・」と悩んでいましたし、
私は私で、「自分がなまけているから、人との関係がとれないんだ」
と思っていて。
2人そろって自分を責めていましたねえ。

だからこそ、
教育のせいでも怠けているせいでもなく
「脳の構造が普通と違う」せいだ、と分かった時
受け入れることに、なんの抵抗もなかった。

アスペだと分かっても
頭の構造は変わらないけど、
心を説明するキーワードを発見したときの、
その喜びの方がメガトン級に大きかった。


神経科に一緒に行って
みごと先生の診断を勝ち取ったときは、
占領軍から解放されたみたいに喜んじゃいましたよw

それに、診断がついたおかげで
私も以前より
自分に対して客観的になれました。

私がトラウマと向き合えるようになったのも、
頭の作りのことが分かって
自分をおびやかす恐怖の正体が分かったからなんです。

だから私の制作量、
多い時は診断前の20倍ですよw!


ずっと心の中にしまいこんでいたイメージが
表現手段をやっと手に入れて
いま、一気に噴き出しているところ!

かくして、私はアーティストの道まっしぐら。www

少なくとも私と母にとって、
障害者と分かったことは
少しも嫌ではなかったんです。

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