感謝するべきなのかどうか

hana 1411260001

前回、飲まなかった薬の話を書きました。
患者の体に悪いことが判明して
製造中止になったという。


 ・・・とここまで伝聞で書きましたが、
 あらためて調べてみました。





 中止になったのは一部の国のようですが
 日本ではまだ中止になっていないようです。
 だからこの点では間違っていたわけ。

 しかし、離脱症状や副作用が隠されてきたという話もあります。
 いくつかの訴訟の話も出てきました。



 私が書いたほど事態は単純ではなかったようですし
 出てきた話がどこまで本当なのかも分かりません。


 なので、私の飲んだ薬が「もし危険なものだったら・・・」と
 仮定して読んでくださいますよう。



 仮定になっても、私の言いたいことからは離れないので。

 

  
さて、その飲まなかった薬のことですが。

私はこれが
どうも感謝するべきなのか分からないのです。


なぜかと言うと、
この手の感謝というものは
他人の不幸を前提としてなりたっている感謝だからですよ。






前に読んだプリーモ・レーヴィの著作で
ちょっと思い出したくだり。



レーヴィが強制収容所で体験したことを
書いた本なのですが、


ある信心深い囚人が
自分がガス室送りに選ばれなかったことを
大声で神に感謝している。

それを見て著者が
ふざけんじゃねぇと内心で怒っているシーンです。


いや、レーヴィは格調高いですから
ふざけんじゃねぇとは書いていませんけど。




その、感謝している囚人の
すぐとなりには、
選ばれてしまった囚人が放心状態でいるわけですよ。

「もし自分が神だったら、彼の祈りを地に吐き捨ててやる」と
レーヴィは書いています。




飲まないですんだ薬のことを
考えるたびに、
私はこのシーンを思い出します。




別に神経科の薬だけじゃなく
こういうことは日常的にあるでしょう。
(私が「仮定であっても言いたいことから離れない」
 と書いたのはこのため)


自分よりも不幸な人の存在があって
はじめて確立する感謝。

ガス室に送られなかったことで
神にお礼を言うような感謝。

私はどうにもする気になれません。

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス - ジャンル : 心と身体

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