「空気読めない」の秘密

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↑新作の部分。


アスペルガー症候群というと真っ先に
「空気が読めない」という特徴があげられます。

しかし私の場合、
必ずしもそうではなかった。

「空気はなんとなく読めるのに、
その場に合った身の処し方が分からない」
がより正確です。




結果的には同じかもしれませんが、
私にとってはこの違いは
とくに訴えたいことなのです。

なぜかというと、
ただの非常識と混同されることを避けたいため。



ただ非常識なだけの人間は
その場をひっかきまわして平気ですが、

アスペルガーの場合、
本人は本人なりに
状況を改善したくて悩んでいたりする
のです。



ただ、改善するためにやるべきことが分からない。

なにかやったとしても
それが例によって
あまりに“アスペルガー的”なものだから
本人の願いに反して、状況はどんどん悪化してしまいます。



私だって友達をいっぱい作りたかったし
もっと自然にクラスに溶け込みたかったんです。

でもその方法が分からなかった。


話が合わなければ黙っていればいいのに、
「友達を作るには積極的に自分から」と先生に言われたから
自分のしたい話で接近してしまうわけです。

それでその場の空気がおかしくなるのも感じるんです。
ところが「ヘンだなぁ」と思いながらも
止めるということが分からない。


「積極的に自分から近づいて友達を作る」には
○話の内容が合っている
○時と場所による
ことが最低条件だということ。

上の二つが満たされなければ
黙っている方がよほど感じがよいこと。


昔の私に教えてやりたいですよ。




キリスト教の考え方に
「外的行動と内的行動」というのがあります。

何をやったかと同時に
どんな気持ちでやったかが重要だ、という考え方。


これを読んでいるあなたが
キリスト教徒かどうかは分かりませんが、
どうかアスペルガーの「空気読めない」に関しては
このキリスト教精神で臨んでいただきたいのです。


本人だってみんなと仲良くしたいし
そのためなら努力するつもりでいる。

ただ、その方法が分からないのです。

決して、人の心をひっかきまわして何も感じない
ただの非常識人間ではないのです。
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テーマ : 発達障害 - ジャンル : 心と身体

コメント

No title

「空気はなんとなく読めるのに、
その場に合った身の処し方が分からない」
との言葉、理解できる気がします。
空気が読めないことと身の処し方がわからないことは違うと思いますよ。
私の若い頃には、空気を読むと言う言葉はなかったのですよ。
いつのまにか、人との関わりが難しくなったようです。
自己中心的エゴが強くなり、他を思いやる心を失ったからだと思います。
現代はあまりにも人間関係が希薄になっています。寂しいことです。
一方で、人とのつながりを求めていることも確かでしょう。
ニキさんのように、内面を見つめ、自分を表現できることは、素晴らしいですよ。
伝わる人には必ず伝わります。私はそう信じてきました。

Re: No title

空気を読むという言葉が出てくるようになったのはいつごろからなんでしょう。
でも、言葉が生まれる以前からそういう概念はあったように思えます。
私が人間関係で悩みはじめた最初期から20年以上たっていますが、
そのころから“周りの空気に合わせる”“それができないことがおかしいとされる”ということはありましたから。
現在でいう自閉症スペクトラムの概念が出てきたのが90年代初めくらいだそうです。
私が生まれる以前はどうだったのか知りえないですが、聞いてみたいですね。

今、私が人間関係でさほど問題を抱えないで済むのは、
私の周囲にいるのが作品を通じて私と向き合おうとしてくれている人だからでしょう。
そういう人たちに出会えたのは幸せだと思っています。

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