自分が分裂するとき

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私は今でも鬱病の症状が出ます。

「今でも」って、治った保証がないから
いささか妙な言い回しになっちゃってますが。



何かがあって症状が出るわけじゃない。
何の理由もなく出ます。
ただし何かがあっても出ます。

ちなみに薬は飲んでいません。
体に合わなくて、ずっと薬なしでやってきました。



私は解離性同一性障害(多重人格)ではないのですけど、
よもやこういう感覚なのか?と思うことが
最近あります。







自分の中に人格がいくつもあって
それが入れ替わるのはどういう感じなのか。

鬱病を通して「もしかしてこういう感じかな」と思うんですね。




なんでそういう風に感じたかって、

鬱病の症状が出ている時と出ていない時で
まさしく人格が分裂したように
ものの考え方がまったく変るからです。



鬱病の症状が出ている時の自分と
出ていない時の自分と
同じ一人の人間であることに変わりはないのですが、

後から思いだしてみるととても同じ人格とは思えない。
それぐらい一変してしまうんです。




解離性障害のように
意識が無くなったり、別の人格が現れたりはしないのですが。



症状が出ている時の自分は
出ていない時の自分がまるで他人に思えるし、
逆もしかり。



その時々によって
物事を感じ取るセンサーが違うと言えばいいのかな。


私の周りにはあらゆるものが存在していますが、
一度にすべてを感じとることはないです。



症状が出ている時は
もっぱら次のことに敏感なセンサーが働いています。

・今できていないこと
・言いたかったけど言えなかったこと
・過去の記憶
・気がかりなこと

私にとってよくないことばかりです。



症状が出ていない時は
上にあげたことを感じ取るセンサーが働いていません。
スイッチオフの状態です。

そして、それ以外のことを感じとるセンサーが働いています。

おかげで次の作品のこととか
一年後の予定を比較的楽観的にとか
考えられるわけです。


ただ、もしかしたら
鬱病が出ている時も
まともな時に働いているメインのセンサーが
同時にオンになってはいるのかもしれない。

やっかいな方のセンサーがもたらす感覚が
あまりに強いので
まともな方の感覚が麻痺しているのかも。





この二つの状態の落差は
けっこう激しくて、
自我が分裂していることをほとんど肉体レベルで感じます。


解離性障害の人は
もしかしたらこれのもっと重篤な状態なんじゃないか・・・
と考えるのです。

もっとも、これが当たっているかどうかは分からないのですが。
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テーマ : 病気と付き合いながらの生活 - ジャンル : 心と身体

コメント

もしかしたら…の感覚(感性)

色んなことを理解しようとする時には、自分が経験した感覚と結びつけて考えることがあります。
漠然としながらも、こんな感覚⁉︎
これに近い感じなのかな〜〜⁉︎と、私もよく推測します。
もちろん、それが正解か否かはわからないままですが
ニキさんが、こうやってブログの中で書き綴ってくれることの多くから、考えさせられることがあります(^-^)

Re: もしかしたら…の感覚(感性)

コメントを下さった方へ

お名前が分からないのですが、コメントをありがとうございます。制作が忙しくてちょっとお返事が遅れました。

そうですね。自分が体験したことのないものを持っている人に対して、すぐに「分からない」としてしまうのではなく、
できるだけ想像力を働かせて「こういうことなんじゃないかな」と考えていきたいです。それは結構大切なことだと思います。

私も鬱病だったり発達障害だったりして、自分の症状について説明するときは「想像してもらう側」になるわけですよ。
そういう時はできる限り分かりやすく伝えようとしています。そのために「たとえば・・・」はどんな話がいいかとか、よく頭を絞ってます。

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