「被害者萌え」パート2

「被害者萌え」の記事を書いたら
予想外に好評だったので
言い足りなかったことをちょい足し。


あの記事を書いている最中、
「実は白人だったニセ黒人」の話を思い出していました。


ちょっと前にワイドショーとかでも騒がれたから
覚えていらっしゃる方もいることでしょう。






黒人差別反対運動にかかわっていたある女性が、
実は黒人のふりをした白人だったというあれ。


たしか、そのグループの中でも
わりと高い地位にいたんじゃなかったかしら。


日焼けサロンか何かで肌を黒く染め、
髪の色も変えていたらしい。




彼女がなぜそんなことをしたかについては
いろいろ憶測が飛び交っていましたけど、
たぶん、白人であることに過剰な罪悪感を持ったからでしょうね。



白人がかつてアフリカ系の人々に対して
何をしていたかぐらい
私だって世界史で学んで知っています。



しかし、だからといって
白人が黒人のふりをしたところで何になるというんでしょうか。

自分が黒人になってしまえば
ご先祖様の罪をあがなえるとでも思ったのでしょうかね。





こういうタイプの人っているんですよ。

黒人に限らない。



よく言われる先住民とか、国の少数派である○○人
(どこの国にもあてはまることだから、任意の国名を入れてね)とかでもそう。


「彼らの仲間に入れてもらえた」ことを過剰に喜ぶんですね。
そして残念ながら、当事者の方でも
「へえ、まともなやつもいるじゃん。まあこいつだけは認めてやるか」
みたいな人がいます。


なんでそこまで偉そうな態度をとられなきゃいかんのだ。

対等な友人関係ではいけないのか。



それを間近で見ていた時の違和感が今でも忘れられない。



例のニセ黒人の話でいえば、
なぜ「白人として」運動にかかわるという形をとれないんでしょう?


自分が“非難される立場”でいることが耐えられないのでしょうか。
黒人になりきってしまえば、
“非難される立場”から移動できると考えたのでしょうか。





なんかね、
迫害された=すばらしいから、善良だから、欲が無いから・・・と
勝手に方程式が作られているみたいなんです。


しかし、「迫害の罪」と「迫害された側の人間性」は
本来関係ないはずです。



だからこそ罪として成り立つ。

「野蛮人は征服されても仕方がない」
という理屈が成り立たないように、
「すばらしいから征服された/迫害された」
という理屈も成り立たないのです。




だって、どっちも人間じゃないの。



特定の国・地域・民族・文化圏の人だけが
そろいもそろって仏のように善良なんてことがありうるのかしら。

そりゃ「お国柄」とか「民族性」とかがあるのは知ってます。
しかしそれを振りかざして
「自分たち(あの人たち)こそがすばらしかったんだ!勝ったあいつらこそが劣等民族なんだ!!」
と言わんばかりの態度をとられたって、ねぇ。


どう反応すりゃいいのって話ですよ。




だいたい、失われた文化や文明って
なんでいつもすばらしいに決まっているんだろう?

ただ単に力関係で負けただけかもしれないじゃないですか。




かくいう私も例外ではない。

私はポーランドという国に思い入れを持っています。
いつか個展をやりたいと思っているところ。


それは、私自身がいじめられっ子だったから。
ポーランドだって近代以降はヨーロッパのいじめられっ子ですからね。

ナチスの絶滅収容所は6か所全部ポーランドに作られたし・・・orz

この記録がトラウマ化しているのも、間違いなくポーランドを意識する理由。


でも、別にこれで自分が立派だとか思いませんよ。
これは私の個人的な思い入れにすぎませんから。

ポーランド人になりたいわけでもない。

テーマ : 今日のつぶやき。 - ジャンル : 日記

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