私の信仰らしきもの

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舞台上のRonnie James Dio。おそらくBlack Sabbath時代


最近よく思うこと。

自分のものの見方や考え方を
検討してみると、
やっぱり私の信仰はキリスト教だと言わざるをえないです。



残念なことに最初の出会いが
たいへん不幸な形だったのだけど

それを克服して成人してから出戻った。
精神的には。




「救済」とか「罪」とかの概念が自然に出てくるし。
天国の存在を信じているし。
祈ることだってよくある。

そして「罪」という言葉を使うとき、
法律上どうかという問題以上に
その人の魂の問題だと思うわけさ。

そう、「魂」という概念もキリスト教的かな。


ばれなきゃいいという考え方ができないし
「救済」という概念が、
現世でどんな効果が出るかという以上の意味を持っている。



子供のころから
一神教に批判的な人に接する機会が山ほどあったし
自然崇拝やアニミズムのすばらしさを
さんざん聞かされてきたにもかかわらず、

やっぱりフクロウやクマを神をあがめることはできない。
フクロウだったらせいぜいそのメッセンジャーというところ。
クマは危険で怖い。


私にとって自然はきまぐれで、薄暗くて、不定形で、不気味なものだったから
そこから守ってくれる存在こそ神様だと思っていた。

(それにしても、私の出会った一神教批判の人たちが
 キリスト教とユダヤ教しかやり玉にあげなかったのが不思議。
 イスラム教はオッケーらしい)



私だってキリスト教の名のもとに
人間が犯したはてしない罪のことは知っている。
にもかかわらず信仰を捨て去ることはできないですね。

キリスト教だからいいと言っているんじゃなく
そういう勘違いした連中こそ天によって裁かれるはずだと思っているから。
それはどの宗教でもおなじ。



今思い出すと、私がはっきりとキリスト教に回帰したのは23歳のときでした。
そのきっかけになったのが例のRonnie James Dio。
Black Sabbathのビデオ「Die Young」が
啓示のように心に突き刺さったというあれです。
(この話はたびたびブログに書いてきてます)

それまでいろいろあって
何かに夢中になるのがずっと怖かったんです。

でもRonnieの映像がそんな恐れを吹き飛ばしてしまいましたねぇ。



なんでそれでキリスト教かというと、
Ronnieを見て「天使を描こう!」と思ったから。
それもただの天使じゃなくて長崎の天使。


信仰との最初の出会いが
ミッションスクールでの6年間にわたる苛めという形だったので
信仰と悪の問題は私にとって深刻だったわけ。

キリスト教の土地で
キリスト教の聖人が生まれ、キリスト教の聖人が宣教していながら(※)
キリスト教の国に原爆を落とされた土地、
そこにいる天使ははたして普通の姿をしているだろうか。

(※)コルベ神父。ナチの強制収容所で殉教。



そんなことを考えていたときに
Ronnieの映像は衝撃的でしたね。
彼こそ私の探していた長崎の天使だと思いましたもん。

勘違いだと笑わば笑え。
信じることが勘違いから始まったっていいじゃない。


まあ、世界広しといえども
Black Sabbathのおかげで信心深くなったなんてのは
あまりいないんだろうな。

テーマ : 今日のつぶやき。 - ジャンル : 日記

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