私が反戦・社会派アートを描かないワケ

制作中のドローイング部分。
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反戦アートがつまらなくなるケースと
反戦アートも含む社会派アートのジレンマらしきこと、
このふたつについて先日、記事にしてみました。


今回は、じゃあ私がどういうスタンスで描いているかのお話。



そもそも「戦争に反対する」立場で描いている絵が
反戦アートだというなら、
私の絵だって反戦アートです。

向日葵シリーズだって原爆の写真なくしては生まれなかっただろうし。
(あとリアルタイムで見た原発事故のニュース)



ただ、ぱっと見でわかるものは描いていません。






私がぱっと見でわかる反戦アートを手掛けないのには
いろいろ理由があるけど
まずひとつには「美的価値と善悪の価値は別モノだ」と思っているからです。


アートに政治を持ちこむとき
それはせんじつめれば善悪を説くアートになるわけで。
だからそもそも政治的アートというのが形容矛盾をはらんでいるのですよ。




だってそうでしょ、
軍服を美しいと感じる感性が人になかったら
軍服マニアなんて存在しないわけで。

でもその軍服を着た人が
自分の住んでいる町に侵攻してこられたら、そうはいっていられませんね。



その形だけ見れば
戦闘機は旅客機よりどれほど美しく、
洗練された形をしていることでしょう。

でもその戦闘機から
自分の頭の上に爆弾がぼこぼこ落っこちてきたら
あまりうっとりもしていられませんね。


美的価値と善悪の価値は
かほど矛盾するものなのです。



アーティストがその矛盾をはっきり認識しつつ
なおかつ表現せずにはいられない、という強い衝動を持って
はじめて表現者でいられるんじゃないでしょうか。

表現者が表現者として
自分の立場を全うするためには
その覚悟が必要なのではないかと思います。



私は上の覚悟に立って制作しているから、一方的なメッセージ・アートを
手掛けることをしない。
こうなると反戦アートだけでなく社会派をやらない理由にも
広がってきますが。

もっとも、私の作品を見て「社会派だ」と感じる方も
どこかにいるかもしれませんね。

それだったらそれで別にいいんです。

ただ、作者である私がその意図を持っていないということで。





もう一つの理由は
反戦アートから社会派アートへ広がっていきますけど
そもそも「誰かのためになるアート」を制作する、という立場に立っていないからです。



私だって自分の作品を見て
誰かが救われたら嬉しいですし
それは心から望んでいることでもありますけど、

私が救いたいのはまず自分自身。




そして、救済の可能性が問題になるとき
その主体はあくまで“救済される側”であって
“救済する側(しようとしている側)”ではないと思っています。

意図的に誰かを救えるのなんて、神様だけでしょ。




“誰かのためになるアート”という発想は、ことによったら一種のおごりではないのかな。
相手がそれを望んでいるか、
どんな救いを望んでいるかなんてわからないのですから・・・

テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

探究者ニキ

Author:探究者ニキ
安藤ニキ
神奈川県横浜市生まれ、
慶応義塾大学文学部哲学科卒業の画家。
油彩・版画・ドローイングなど表現方法はさまざま。たまーに漫画も描きます。
作品のお問い合わせはnikiあっとando-kobo.jpへお願いいたします。

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