記憶に殺されかかる

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ここのところまた鬱病です。

フラッシュバックがひどい。


今ちょうど春休み&進級の季節で
いろいろなところで小学生位の子をよく見るからでしょうか。

昔の詩人が言ったように、まったく春は残酷な季節です。







私は10歳で鬱病になり、12歳でキリスト教の信仰を捨て、
23歳でまたキリスト教に回帰しましたが

最初に信仰を捨てた理由がそのまま、10歳以来の鬱病につながっています。




ミッションスクールで信者の子供たちに6年間いじめられつづけた、
というのがその理由です。
初対面からいきなりいじめてきて、そのまま卒業するまで続けた子もいます。

なんでこんなに長引いたのかと言うと、
いじめていた子供たちも同じクラスにいただけではなく
多くの学年にまたがっていたからです。
(その中には普通の家の子もいました)




ちなみに当時はほかの学年でもいじめ問題が深刻でした。
いじめのリーダー格が信者の子供で、
被害者は普通の家の子供だったため
先生が何の手も打たず、
いじめられた子はそのまま転校したというケースもありました。




こういう記憶が性懲りもなくよみがえってきて、そのたびに鬱の発作が起きます。


昔の不幸をいつまでも覚えていると
執念深いとか言われがちですが、
なにも好きで覚えているわけではない。

忘れられるなら忘れたいのは私のほうです。

できることなら頭を手術して、その記憶の部分を切って捨てたいくらいです。




昔、テレビ番組だったでしょうか。
プリーモ・レーヴィのことを「証言者はなぜ自殺をしたか」云々と
とりあげていましたが、
私が思うに、死にたくなるのあたりまえでしょと。

記憶は人間を殺せるんですよ。






ユダヤ人の皆さんがナチの戦犯を70年たって見つけ出した、
なんて話をときどき聞きますね。
でもその気持ちもわかりますわ。

相手が90過ぎた爺さんだろうが、関係ないんですよ。
こっちはその人間のために一生を狂わされたんですから。
やった方はろくに記憶さえしていなくても、やられた方は一生忘れるもんですかね。


何の苦労もなく示した動作や
発した言葉が
受ける側にどれほどのものを与えたか、
それを認識しないままこの世を去らせることは許せないんです。


昔はいろいろありましたけど更生しました、とか聞けば
まるで美談のように響きますが、
やっとまともなレベルになっただけの話でしょう。

更生するのは勝手だけど、それ以前に犠牲になった人間はどうなるんですか。
処罰されなきゃ許せんよ、神の正義に誓って。



もっとも私は、当時の相手に何もしたいと思っていません。
私の場合は別に戦犯が相手ではない、そういう「絶対悪」が相手ではないですからね。

疲れたんです。復讐だ何だと考えるのが。
相手の不幸を願ったのも子供の時の話です。

ただ、もう会いたくはない。

テーマ : 病気と付き合いながらの生活
ジャンル : 心と身体

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プロフィール

探究者ニキ

Author:探究者ニキ
安藤ニキ
神奈川県横浜市生まれ、
慶応義塾大学文学部哲学科卒業の画家。
油彩・版画・ドローイングなど表現方法はさまざま。たまーに漫画も描きます。
作品のお問い合わせはnikiあっとando-kobo.jpへお願いいたします。

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