痛感する向き不向き

最近描いた鉛筆画。

kataku164020001.jpg




画家だったらなんでも描けなくては。

・・・とはよく言われることですが、
いろいろ見てみると
やっぱり向き不向きってあるなー(-_-;)と思います。

それは、その人が何を体験したかとあんまり関係ないみたい。








さる画家が原爆の絵を描いたとおぼしめせ。




「自分にとっての義務だった、ようやく絵にすることができた」
のようなことを語っていたとおぼしめせ。



いつもは静かな優しい作風でしたが、
その絵に限って紅蓮の大火炎がうずまく画面となっていたとしましょう。



ところがそれが
どうにも「大変な場」に見えない。


シチュエーション的には大変な場を描いたはずなのですが、
紅蓮の大火炎があるわりにはぜんぜん怖くない。



原爆と言えばやっぱ炎だよね、
という発想で描いたのでしょうけど

炎ではなくて、まるで赤いお花畑のようだったといいます。




そしてその絵を見たある人が
「先生はむしろ、灯ろう流しの場面を描いた方がよかったのでは・・・」
とひそかにぼやいていたとおぼしめせ。




これはありそうなフィクションなのか
ノンフィクションなのか分かりませんし
どちらでも別にかまわないエピソードですが、

向き・不向きってあるんだな~とつくづく感じる。




力みかえってドーダ!と描いてみたとしても
炎がお花畑になってしまうのでは
やっぱりその人には向いていないモチーフだったということじゃないのかな。





意識を持って描くのはなんら非道なことではないだけに
こういうのって言いにくいんですよね。




でもねえ、ときどきありますよ。
凄愴きわまりない場面を描いているはずなのに
なんとものどかな雰囲気になっていること。


某強制収容所の建物を描いているのに
東京駅か赤レンガ倉庫にしか見えなかったり・・・


建物の形がどうとかじゃないんですね。雰囲気がそっちなの。




逆に、本当にその人に向いているテーマであるなら
具体的なモチーフを一切描かなくても表現できる。
画家はこの境地をめざすべきじゃないのかな、と私なんかは思うのです。

実際、そこを目指して描いています。


まあね、私も自分では
描くべきものを見つけられたと思っているけれど
向いているかどうかはなかなか分からない。

ただ、義務感や正義感だけで描いてはいないのは断言できます。




絵を描くときに
義務感や正義感が先走ると、
さっき書いたような赤いお花畑や赤レンガ倉庫もどきになっちゃうんじゃ
ないかなぁ。

テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

探究者ニキ

Author:探究者ニキ
安藤ニキ
神奈川県横浜市生まれ、
慶応義塾大学文学部哲学科卒業の画家。
油彩・版画・ドローイングなど表現方法はさまざま。たまーに漫画も描きます。
作品のお問い合わせはnikiあっとando-kobo.jpへお願いいたします。

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