“火宅”シリーズの舞台裏  い つ も こ れ さ

kataku16506b0001.jpg

kataku165060001.jpg

↑それぞれ“火宅”シリーズより、部分。




先日また原爆の夢を見た私ですが。


描いている作品群の
いちばん古いイメージの源泉がそこにあると書いたら、
みなさま驚かれるでしょうか。




このブログでも長崎のこととか書いているし
いまさら言われなくてもええよ、想像ついとったよ、と
思われるかもしれませんし

みなさま一人一人がどう感じられるか私にはわからないのですけど、

源泉と言うか、土台はあきらかにそこです。






最近は鉛筆画にずいぶん夢中になっていまして
一つのテーマに基づいたシリーズになりそうなあんばい。

今、部分画像をちびちびアップしている鉛筆画“
火宅”シリーズもそうです。





ただ、想像を広げているうちに
どんどん“歴史的”“社会的”な内容からは遠ざかっていく。





私の不安や恐怖の領域が
原爆の写真からはじまって原子力関連の方々に広がっていった、というのが理由の一つ。

浮かんだイメージ(ほとんど幻覚というか強迫観念と言うか・・・うまく言えんなぁ)は
次第に入れ子になり、
ひとつひとつの源泉の境目が分からなくなり
作品化したときにはほぼ完全にファンタジーの世界になっています。





二番目の理由は、
私にとって重要なのが自分自身の抱えた長年のトラウマと
そのトラウマの表現によって他者と共鳴できるかどうかの可能性にある、ということ。
(他者と共鳴すること、他者と価値観を共有することは
私が生きているうちにどうにかして手に入れたいもののトップでした)


別にアメリカに恨みをぶつけるために絵を描いているんじゃないもの。




三つめ。上と関連するから、同じく二つ目でもいいか。

自分にとって重要なテーマを表現するのに
“この絵の源泉は歴史的事実だ”という点はさして重要でなくなっていくんです。


“火宅”というタイトルは同じ仏教用語からとりました。
仏陀はこの世界を、四方から火の手の上がる
蛇や毒虫の住み着いた家にたとえたという話からきた言葉です。


そこから、核関連の不安を根底にもつシリーズとしては
ちょうどいいなと思ってつけたんです。


たとえば核戦争にしても大規模な原発事故にしても
多くの人間がひとつの巨大な悪の体系みたいなものに
からめとられている、そんな気がするので。


で、そういう場合の救済の可能性を考えていくと
一種の思考実験として
逆に現実の場からははなれていくんです。

テーマ : art・芸術・美術 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)