エリ・ウィーゼルの訃報から

沼に飛ぶ魂 2013年 油彩 サムホール
証言文学を読みふけり、Black Sabbathの”Dehumanizer”を聴きまくっていた時期に描いた油彩
“沼に飛ぶ魂”。 2012年、油彩、サムホール。



先日のエリ・ウィーゼル追悼記事を書いていてまた考えました。



ユダヤ教の神とキリスト教の神は同じであるはずなんだ。聖書だって同じ。
ユダヤ教は旧約聖書だけという違いはあるけど。



神の不在、もしくは沈黙については
およそ信仰のある人間にとって重大な問題であるけれど
異教徒の迫害ならまだましかもしれないとも思う。





だって、自分を迫害するのが異教徒だったら
自分のほうが正しいと思っていられるから

ぶちのめされようと根本的な部分では自分を支えていられます。

でも、自分を迫害するのが同じ信仰の持ち主だったら。これはきつい。



同じ信仰の中で迫害者と犠牲者が生まれる以上の暗黒を、私は考えることができない。





遠藤周作の小説を読むと、どうもこのあたりがあいまいな気がする。


カトリック作家として、神の沈黙の問題について考え続けた人ではあるけれど
やっぱり「信仰のある人=善」「信仰のない人=悪」という型から
抜け出ることはできなかったのかな、と思います。

敵役としてナチスがよく出てきますけど、どうも不信心者としての役しか割り当てていないみたい。
(みたいと書くのは、全著作を読んだわけではないからです)


もっとも深刻であり、もっとも追求するべきなのは
「もしナチに所属、もしくはナチを崇拝する人が敬虔なキリスト教徒だったら」

という問題ではないでしょうか。
て言うか、私が一番書いてほしかったのがそこなんだけど。



なにしろ反ユダヤ主義が「悪いこと」として認定されたのは
それこそ第二次大戦後のことで
戦前までユダヤ人は“キリストを救世主と認めない、永遠に呪われた民”とされていたのですから。

厚いキリスト教の信仰心をもった人が、それこそ正義感にもとづいて
喜び勇んでユダヤ人に石を投げる。こういうことだって普通にありえたはずです。


もしかしたらカトリック教徒としては書きにくかったのかな。たしかに同じ集団の中では書きにくいか。



私は正式な信者ではないせいで、そのあたり無責任に考えていられるんでしょう。

子どもの時からずっと疑問だった。
信心深い迫害者と信仰を知らない犠牲者では、いったいどちらの味方を神様はなさるのか。



私の中では答えは出ているんですよ。たとえどんなに敬虔であっても救われ得ない人間もいる、と。
でもそれを代わりに答えてくれる、権威のある人がいなくてさあ(笑)

テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

探究者ニキ

Author:探究者ニキ
安藤ニキ
神奈川県横浜市生まれ、
慶応義塾大学文学部哲学科卒業の画家。
油彩・版画・ドローイングなど表現方法はさまざま。たまーに漫画も描きます。
作品のお問い合わせはnikiあっとando-kobo.jpへお願いいたします。

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